昨日は、市美術館のミュシャ展を観てきた。日曜なのに客はそれほどでもなく、ゆっくりと鑑賞できた。コロナ効果である。

 展示作品はリトグラフがほとんどで、肉筆は素描、習作がわずかばかりであった。ミュシャそのものよりも、受容した作品、影響を与えた傾向に企画の狙いがあるらしく、最終展示コーナーは日本の漫画家たちの作品であった。水野英子、山岸涼子、天野喜孝などにミュシャの構図が取り入れられていた。しかし残念ながら、これも複製がほとんどであった。

 ということで全体が軽いのである。ミュシャのリトグラフの製法やポスター製作過程に期待していたのだが、まったくの空振りであった。作品解説もおざなりなのだが、商売にだけは熱心で、入口のイヤホン貸し出しから、出口の特設売店まで呼び込みの誘いが熱い。ディズニー並みの価格の缶入りクッキーや、ミュシャカリントウなどが売られており、ミュシャまんじゅうはないかと探したほどである。図録の購入は早々に諦めた。

 企画協力企業を見て見ると、NYV系列であった。地元TV局、新聞社も一枚噛んでいる。ということで、この展示会は、体のいいコンセッションなのである。TV局の収益低迷打開の新経営方針なのだろうが、美術館が安易に乗るのは衰退への坂道である。これまで築いてきた館員の努力をたたき売りするようなものである。持ちつ持たれつとはいえ、まあ、このようにして経営体は消滅していくものなのだろう。

 そういえば今日の「折々のことば」は、感動経験のないものが「顧客満足」とか言って牛耳る現場はすぐ壊れるという内容であった。「数字しか頭にない」MBAは壊し屋の代名詞なのである。低迷するNTVにも、きっと誰か居るに違いない。

 

 さて、美術鑑賞の後は、その先にある洋食屋かラーメン店で昼食とすることが多い。昨日は、ラーメン屋であった。

 混んではいたが、以前の7分の入りというところである。待ち時間があまりない。コロナ効果である。

 興味深かったのは、隣の席の家族連れである。オヤジが喋り通しなのである。しかも人生訓というか、教養のひけらかしである。その一つが、ラジオについてである。今どき、ラジオ好きとは感心だが、トラックの運転手かなにかなのかもしれない。

 伊藤忠の名誉会長だかが「人間は正直に生き、毎日精いっぱいに努力しなければならない」というようなことを話していた、と吹聴する。そのあとに「中身のねえ話してんじゃねえよ、正直者は馬鹿を見るし、努力しても報われないことの方が多い。その程度で大企業のトップが務まるのか。こちとら本音で生きてるんだ」と批判するのかと思ったのだが、真逆だった。危うく白河ラーメンの濃いスープの中に顔面を突っ込みそうになった。

 おやじはなんと、「俺の生き方そのものだ」と称賛したのである。「人間はそうでなくちゃならねえ」と子供たちに諭すのである。その子供たちとは、駐車場をうろちょろしていたので、危うくひき殺しかけた男の子二人である。店の中も何かとうろちょろするので、俺のどんぶりを持ってくるときだけはひっくり返さないでくれよと祈らずにはいられなかったガキどもである。教訓は人を育てるものなのである。エライのは奥さんで、茶々など入れずに、ふんふんと同意しながら聞いている。ただし、麺をすするのを中断することはない。

 TVの影響なのか、。おやじのあり方まで関西化が進んでいるのかもしれない。人生訓をぶつのが男の甲斐性と勘違いし、そこいら辺に転がっている知識を受け売りする。それが本物かどうかなどまったく吟味しない。引用もいい加減である。伊藤忠は大メーカーだし、昭和は1920年から始るとオヤジはいっていた。

 内容も、通俗的な方が突っ込み防止のためにもいいのかもしれない。「毎日精いっぱい」は、少なくとも間違いではないのだ。しかしそれなら、相撲取りのように「一日一番」でもよいではないか。

 「お子さんのしつけについてどうお考えですか?」

  「まあ、自分に出来ることから少しずつ。一日一番っす!」

 「学校のコロナ対策をどのように評価しますか?」

  「先生方も大変なので。一日一番っす!」

 「維新は自民党別動隊といわれていますが、支持する理由は?」

  「偉い人に逆らわないのがいいと思います。一日一番っす!」

 ああ、なんだか、まるで通天閣の下でラーメンをすすっているような気分であにされてしまった。