「ネットワーク外部性」という概念がある。

 ある財の普及度が高まるほどその使用価値が高まるとする考え方だ。クルーグマンは、「個人の財の限界便益はそれを使う他の人の数次第で決まる」とし、間接的な例としてWindowsをあげている。多くの人が使用することで専用アプリの開発が促進され、その帰結としての便益性向上がOS占有率を高め、ついには市場支配を実現した。

 アップルは、品質に自信を持つがゆえに外部性の認識に欠け、高価格販売に拘泥して敗北した、と評価する。同じような失敗は、ソニーのβビデオにもいえる。エロビデオをおまけに普及させるVHSなんて卑怯だ、品質で絶対的に劣る、といくら叫んでも、商売においては負け犬の遠吠えにしかならなかった。

 ビデオでは勝ったパナソニックも、プラズマに拘泥して家電市場から後退した。液晶に外部性があるわけではないが、普及によって部品等のコスト削減が実現された。その結果、お友達のいないプラズマは価格競争において敗北したのである。今やパナソニックの株価時価総額は、失敗から学び?復活したソニーの1/4に過ぎないと揶揄されている。

 同じような失敗を、今現在犯そうとしているのがトヨタである。水素(FCV)にこだわり、電気(EV)をおろそかにしたため、世界の市場から締め出されようとしている。ガソリンスタンドが電気充電所に置き換えられたら、完全な「外部負ネットワーク」である。内燃機関の車は、ガソリンがなければ走れないもの、なのである。いくらエンジンの方が馬力があるとか、エンジン音は歩行者の安全に寄与するとか、排気ガスの匂いがいいとかいってみても無駄である。

 液晶と同様の構図になりそうなのが再生可能エネルギーである。それ自体に外部性はないが、普及することでコストが削減され、電気料金を引き下げる可能性がある。日本は、海上風力や地熱などの天然の利を備えている。ドイツからすれば、潜在的資源に羨ましいほどに恵まれていると見えるだろう。

 それなのに政府は、「脱炭素2050」といいながら、2割を原発に依存する電源構成に拘泥している。己の利点に気づかず、忠告を無視し、わざわざ敗ける方向に国を誘導しようというのである。トヨタの三代目と同様に、唐様に秀でた亡国の「たたき上げ」である。外部性の有無にかかわらず、妙な自負心にとらわれて、時代の趨勢を見誤る者を指導者にするべきではないのだ。

 さて、今年のセンター現社追試第6問本文に、その「ネットワーク外部性」が出てくる。スマホのアプリを知人たちと同種に統一するのは「特定のサービスの利便性が、その機能や品質よりも、その利用者数に依存する」からであり、それは外部性で説明できる、というのだ。?である。

 lineやtwitterなどのアプリはインストールしていないと不便が生じることになるだろう。ただし、無償であって利用権の市場取引はない。すなわち「財」ではないので、「ネットワーク外部性」とは無縁である。

 それでは、有償で、かつインストールしていないと不都合が生じるようなアプリがあるのだろうか。寡聞にして知らない。スマホアプリを「ネットワーク外部性」の例に採るのは、どう考えても不適切である。lineなどの普及という印象に悪乗りし、いい加減な合成を経済用語と行って無理な論理展開をしている、という感が否めない。

 現社の本文を読んでいて、たびたび緩いなーと思わせられた。真面目に考えていないため、文章自体がいい加減なのである。出題者に、学問的能力よりも政治的従順を要求することによって出来した劣化は、どうやら現実のようである。この国は、上から下までそのように衰退してしまった。ひょっとすると、「負のネットワーク」というのがあるのかもしれない。