一昨日の朝日に、「世界の労働時間、3億人分が減少 ILOが対策を訴え」とのウィーン発の記事があった。次のようなものである。

 「ILO、新型コロナウイルスの雇用・労働への影響を…今年第2四半期(4~6月)に世界の労働時間が3億500万人分(週48時間で換算…世界の労働時間全体の10・7%)減ると推計した。」

 3ヶ月で、これだけのマイナスである。まだ収束していない。今後の拡大次第では、世界の労働時間の20%は軽く失われるのではないだろうか?2割の生産が失われるということは、2割の所得、2割の消費がなくなるということでもある。それは、経済成長が2割以上落ち込むということでもある。生活水準の悪化は避けられない。

 『現代経済学の直感的方法』という本がある。著作名からして不思議さを漂わせているが、通販では品切れ中となっていることが多い。ところが田舎町では、本屋の棚に初版本が何冊も置かれているから不思議である。読んでおかないとマズイだろうなあと思って、現在読み進めている。確かに、日常感覚に訴える書き方をしている。が、「貯蓄で社会が貧しくなる」という章を読んで萎えた。

 100の生産で100受け取った労働者が90しか使わなかったら、次の生産規模は90になり、90しか受け取れなくなる。過小消費が生産を縮小させる、というのだ。現在の状況に引き写せば、去年まで100だった生産が80に落ち込み、80しか受け取れなくなるから来年の生産は80以下、坂道を転げ落ちるのが確実だ、ということになる。お先真っ暗である。

 この論理で行くと、高度経済成長の時に10%成長していたということは、100の生産で労働者に110支払われ、労働者が110まるまる使ってしまった。同じことが繰り返され、翌年の生産は110となり、120ほど支払われる、それが繰り返された、ということになる。じゃあ、その余計に支払っていたのはいったい誰だったんだよ、第一その金の出所はどこなんだ。それに、高度経済成長の要因の一つは、労働者の高貯蓄、つまり100支払われても10,20を貯金することをあげるのが常じゃなかったのかよ、と突っ込みたくなる。

 問題は、企業は100生産しても60しか労働者に払わない。差額を利潤として蓄積、分配してしまうので、労働者が貯蓄しなくとも社会全体としては必然的に過小消費となる、というところにある。原因は労働者にではなく、企業、資本家の方にある。その本質を見ない、見たくないから見えない、それでも何とか説明してしまおうとするから話がおかしくなる。それでも、ほーと感心し、誰かが誰かに受け売りを吹聴するという連鎖が生じるのだろうね。直感ほど怖いものはない。

 というわけで、お先真っ暗ではない。2割生産が減っても過去に蓄積した利潤を引っ張り出して10割の生産を維持することは可能である。1割増しにすれば高度経済成長である。問題は、経営者がそれをやる気があるか、やる気になるか、という事にある。

 日産が6000億以上の赤字になったという。しかし営業損失、つまり現実的な赤字は400億円程度に過ぎない。大半はリストラのための費用なのだ。将来の生産を縮小させるための費用を見込んでの大赤字なのである。儲かっているときには賃金を渋って消費を縮め、不景気になると労働者をクビにして生産を縮める。しかもその過程で溜め込んできた利潤はどこかに消し飛んでしまう。経営者こそが、不景気を加速させる行動をとりがちなのだ。

 というわけで、先行きはやはり、暗いものとならざるをえない。犠牲になるのは、失業者、非正規労働者となるのは決まっている。途上国の人々の多くは、誰に知られることもなく死んで行く、ということになりかねない。おそらくは、コロナのせいにされてのことである。こういうときこそ国の出番なのだ。対策費は愚かな企業が溜め込んだ金を財源とすることで可能である。問題はここでも、国がそれをやる気があるか、やる気になるか、という事にある。なにしろ、「まさに、今が正念場なんだろうと」としかいえないご仁が最高権力者だからね。