昨24日の朝日新聞地方版に『会津観光「コロナ後」模索』という記事があった。感染者が出なかった会津でも、自粛によって観光はリーマン並の打撃を受けた。それが今、収束後を模索している、という内容である。残念ながらろくな発案はなく、打つ手は乏しいようである。
ある奥会津写真家の発言内容は次のようなものであった。
第一に、観光客は、高齢者が多い奥会津の人々を感染させまいとする「高い意識」で自粛した。
第二に、「誰でもきてください、は終り」、地域にお金を落としてくれる人などを優遇する仕組みを作る。そのための全会津の団結が必要だ。
どうでしょう??是非とも会津に行ってみたいものだという気になりましたか?
第一に、観光の自粛は、コロナ自警団などによる嫌がらせをおそれてのことであるし、奥会津が超高齢社会であることを知る人などほとんどいない。無関心が実際である。勘違いというものである。
第二に、金を落とさせる「仕組み」って一体なんだろう。関所でも造るのだろうか。資本主義経済において金を得ようとするものは、市場になんらかの商品を提供することで実現する。有り体に、一次から三次にわたる商品開発、といえばよいことである。その商品の具体的な発想がないから、「金を落とさせる」などという抽象的な物言いに終わる。
関所を造って強制的に金を落とさせている国がある。ブータンである。観光ヴィザを求めると、ガイドと運転手付きで認められる。単独観光であったとしてもそれだけの費用負担が入国の条件なのだ。一種の鎖国である。ガイドはいっていた。バックパッカーのような貧乏旅行者を受け入れるつもりはない。儲からないからだ、と。
コロナ対策としては実に有効である。いつでも、完全な鎖国が可能である。ただ、経済的には停滞を余儀なくされる。鎖国するということは国際分業を拒否するということであり、物質的にはひっ迫することになる。外貨を稼ぐ商品といえば水力発電の電気くらいしかない。それでも幸福ならばいいじゃないか、といえばその通りである。
しかしそこにも、外国の勢力は浸透してきている。土木や建築などの肉体労働者の大半はインド人であり、国の中にインド経済圏を形成しつつある。やがてはミャンマーのようになり、ネパールのように国民経済を左右されることになるのだろう。その時にも、ブータン国民は幸福であり続けられるだろうか。鎖国したつもりでいても、実際はそのようなものである。
奥会津も同様である。おれたちの故郷はすばらしい、だから金を落とさないよそ者は来るな、という威勢の良い啖呵の裏で、不動産はたたき売りされている。古民家が別荘として次々に買い取られているのだ。いつ、ここから先に「原住民」は入るな、といわれてもおかしくない。実際、東北電力という巨大なよそ者は、そのような傍若無人な振る舞いを続けてきた。まあ、それが地域衰退の元凶、鎌倉以前に戻ってしまった最大の要因なのでもあったのだが。
確かに自然はすばらしい。しかしそれもダム等の人為によって形成された自然であって、人がいなくなれば崩壊するものでしかない。それを、俺が住んでいるのだからとしか思えない根拠で、お前も感動しろ、感動したら金を払え、と要求しても通用するものではない。誰がわざわざ嫌な思いをするるために訪れるものか。山の中の田舎者のただの独りよがりである。
この、独りよがりこそが、会津が衰退している最大の原因なのだ。そういうものを一旦脇において、お安いですよ、ただですよ、誰でも来てください、というへりくだりに転じないかぎり、衰亡が止む事はないだろう。コロナは来なかったのにコロナのせいで拍車がかかる。その結果、彼らは、こんなに素晴らしいのになぜなんだという、怨念を高じさせ続ける。そのような気がしてならない。