今週号の東洋経済GROVAL EYEに「憲法で米国の民主主義は救えない」との論説が載っている。筆者はMIT教授Daron AcemogleとJames A Robinsonである。
憲法は民主主義を守らない。米国建国時のエリートたちは、庶民の民主主義熱を抑え込むために憲法を制定した。1787年、マサチューセッツ州で、不況、重税、汚職に怒った住民が武装蜂起した。シェイズの反乱である。その鎮圧のための武力を拡充する必要から憲法が制定された。したがって、憲法には当初、人権も、直接選挙権も規定されなかった。三権分立も、民主主義の熱に浮かされた国民から政府を守ることこそがそもそもの狙いだったのである。
そのような憲法を変えたのは国民の行動である。20世紀初頭には上院の直接選挙を実現し、1950年代以降の公民権運動は人種差別を打ち砕いた。米国政治に自浄作用など期待できない。国民が選挙、街頭デモで行動を起こすことによってしか、政治危機から米国を救うことはできない、という論旨である。
日本では、米国を三権分立が権力を相互抑制し、行政が立法に関与することのないすばらしい国と崇め奉る人が多い。閣法が優先され、議員立法の提出数、成立率が少ないと、まるで悪いことのように嘆いて見せる。ほとんど、聖書を絶対視するエホバの証人のようである。ところが、当のアメリカ人が合衆国憲法の美化を戒めている。憲法を美化し、その言葉に安住してしまうことで思考停止する。頭の中の御花畑で白馬の騎士を願望し、現実にはアホなトランプを野放しにする。
このことは日本にも言える。改憲、護憲による、憲法の字面が日本を変えるのではない。実際、明文改憲しなくとも、閣議決定で集団的自衛権の容認という実質改憲が行われてしまっている。安倍がやろうとしている改憲とは、その変更が違憲判決を下される前に条文の方を変えてしまおう、違憲を隠蔽してしまおうという策謀なのだ。9条を後生大事に守っているだけでは、いつかまた同じ手法で憲法を壊される。
民主主義を守るために必要なのは、ダロン、ジェームズの両氏が言うように、選挙で地道に与党勢力を減らしていき、機会を見て街頭デモを繰り広げることなのだ。そうすることでのみ、憲法条文を軽々に弄らせない状況を作り出せる。スマホを撫で回し、アメリカのような三権分立だったらなあ、などとぼやいているときではない。