いよいよ総選挙のようである。今回の解散に関して「大義がない」とか「意味不明」とかの評論が為されている。たしかに、共産党や社民を除いて、政策にほとんど差異はなく、何のための大騒ぎなのかは不鮮明である。マスコミは事象の単純化がその商売の秘訣である。無理にでも理由を見つけ出そうとしたあげくに、消費税再増税、アベノミクスの評価が争点になるなどといいだしている。しかし、仕掛け人は安倍である。狙いは明確で、焦点が定まらない世評の雑音の中にしっかりと隠されている。
真の争点は「憲法改正」である。安倍は過半数までとハードルを下げた。自民が40、
50議席を減らしても居座るつもりなのである。その上で、選挙後に次世代や維新を取り込んで2/3超を満たし、改憲の発議をする。駄々っ子のように、妖怪ウォッチグッズをほしがる子どものように、何が何でも憲法を変えたという実績を積みたい。その結果、経済が停滞しようが、アジアで孤立しようが、日本がどうなろうと関心がない。自民党すら割れてなくなっても構わない、と考えているかもしれない。なんとかの一念というあれである。
布石は既に打たれている。集団的自衛権行使容認の解釈変更である。公明党が何といおうと既に「認められた」。憲法改正といってもそれをきちんと文章化するだけのことであり、新たな争点とはならない、と主張することだろう。ついでに、あちらこちらに立憲政治破壊の種を埋め込んでおき、そのひとつか二つに論議を集中させ、そこだけを譲る格好をつけて改憲を実現する。消費税、秘密法その他で用いてきた手法である。残念ながら、国民の良識などあてにはならない。知識人を含めて、鉄砲玉の後を追いかけていくのがその習性なのだ。このような安倍の計略を許したら、格差社会を固定化するための社会の改造が実現することだろう。破壊されるのは憲法だけではない。
さて、与党に都合の良い条件で選挙を行う仕組みは、憲法に明記されていない。7条の国事行為が根拠とされており、違憲ではないかとの指摘も古くからある。戦前からの、日本の内閣制度の伝統という側面は確かにある。しかし、肯定する連中の意識には、そのような慣行が民主制度の充実に貢献するかどうかという視点が欠落している。そして何よりも、天皇に事寄せて、党利党略を謀るという不敬に反省がない。愛国を語るものが、もっとも野卑であるという構造がここにも露呈している。解散を断行した安倍の内面において、日本の歴史や文化の尊重、聖なるものへの畏れなど、欠落し果てているのは明白である。嫌な奴、ということである。