【吹雪を愛でる】
味噌ラーメンヘの思い抑え難く、往復90分ほどをかけて郊外に出向いた。ラーメンはともかく、店内からの外の光景に心が安らいだ。急に雪が降り出し、やがて吹雪となったのだ。
店は峠のトンネルの南出口に位置している。トンネルの向こう側の峠の先は会津である。その方角から、日本海の雪をはらんだ強風がやってきて、峠の隘路で風速を強め、空中に雪の渦を巻く。音を立てながら地表の雪を吹き飛ばす。昔この辺では、屋根に石を載せた家屋をよく見かけた。そういう一帯なのである。
トンネルから出てくるクルマの前部は白く覆われてナンバーが読み取れなくなっている。よろしい。冬はこうではなくてはならない、と納得してしまうのだ。その風の中で働かなければならない人達への思いなどない。暖かい店内で、熱い麺を啜りながら、冬もいいよな、などと頷くのである。
【落ち目の職業】
さて、あちらこちらで2024年度の教員採用試験の倍率、受験者数が最低になったと報じられている。
「学校種別でみると、採用倍率は小学校2・0倍(前年度2・2倍)、中学3・6倍(同4・0倍)、高校3・8倍(同4・4倍)。特別支援学校も2・0倍(同2・2倍)で、直近30年で最低だった。」(朝日新聞2025.12/26)
原因として、「長時間労働や保護者対応の負担など、厳しい労働環境」をあげている。文科省は「働きがい」のある職場とするべく改善をはかるというが、市場原理主義者どもが何をいっているのだろう。労働条件と報酬を天秤にかけるのが正しい労働者の対応である。長時間でも、厳しい労働環境でも、高報酬であれば忌避されることはない。逆にいうと、労働に見合わない低賃金だから志願者が減っているのだ。その根幹のところを改めない限り、今の状況が変わることはない。
【軽く見られる職業】
この傾向はバブルのころから見られた。大企業の賃金に公務員の給料が追いつかず、高偏差値の人材に見向きもされなくなった。平均賃金との比較ではない。高収入勤労者との比較である。やがて教育学部が敬遠されるようになり、成績下位の連中の進学先と見られるようになった。
それなのに、政府、文科省は何を血迷ったか、というか日教組潰しに熱狂して、履修必要単位増、免許更新制を導入した。迷っている志願者を鞭で追い払うような所業を為したのである。その当然の帰結として、志願者は激減し、人材としての質的低下が進み、世間の評価はますます低下した。教員など恐るるに足らず、強くでれば頭を下げる弱者であると見做す風潮がまん延した。今ある保護者の威圧的態度の背景は、このようなものである。一朝一夕に解決できるような状況ではない。
【失われた畏敬】
小学生のころ、先生は頭の良い都会人に見え、憧れた。大人たちも「先生様」と読んで敬意を表した。校長といえば町長並みの扱いであった。そのように教員がインテリの代表として尊敬される時代に、再び復することがあるだろうか。文科省は、教員の増やせばなんとかなるとばかりに、免許の質を疎かにしてまで数の確保に走っている。その場限りで、対処療法にもなっていない。
日本人って、この何十年かかけて徐々に頭が悪くなってきたのかもしれない。ここにも失われた30年がある。寒いわけである。