《急性期の病院から回復期の病院に移るまでどうしたのか? その1》

大阪医療センターには11月13日~1月16日約2ヶ月入院していた。

 

最初は純粋に脳出血で入院していたが、血栓が肺に飛んで、最終的に心臓が止まったので、それに伴う治療が主になった。そのため心臓も呼吸も止まったので心臓の動きを見るためにモニターをつけ、血中の酸素量(SpO2)を測るモニターも24時間つけた(退院するときまでつけた…(๑o̴̶̷̥᷅﹏o̴̶̷̥᷅๑) )。

 

昼間でも就寝でも熟睡した時にSpO2が下がる。就寝時には小さな声でSpO2が低いから酸素をつけるねと鼻腔カニューレをつけられた。昼間に熟睡してると(寝てるという意識はない)「起きて~!」と言われ起きたら、SpO2が低いって言われた。リハビリは起きてる時間なので酸素量に特に問題なし。

 

だったら鼻から酸素吸わしてくれたらよかったんじゃない?って思ったけど、だんだんと酸素を吸う回数も減ってきて、だんだん昼間起きてる頻度も上がったので、問題にはならなかった。

 

モニターは血栓が肺に飛んでから、退院の前まで約1ヶ月半つけていた。だから痒かった。同じような場所に貼るから。

 

→次回は《急性期の病院から回復期の病院に移るまでどうしたのか? その2》

 

→何か聞きたいことがありましたら、どうぞ聞いて下さい。

失読症のため時間はちょっとかかるかも知れませんし、ほしい答えになっていないかも知れませんが、聞かれたことにはちゃんと応えるつもりです。