京都大学(京大)は長らく新左翼の活動家が多いとされるイメージがあります。1960年代から1970年代にかけて、京大は学生運動が非常に盛んで、新左翼や全共闘(全学共闘会議)などの活動が活発に行われていました。この時期の影響が現在でも残っているため、東大(東京大学)のように「頭が賢い」というイメージよりも、政治的な活動が活発な大学というイメージが強いのかもしれません。

一方で、京大も東大同様に日本を代表する名門大学であり、多くの優秀な研究者や知識人を輩出しています。そのため、学問的な評価や研究の質においては、京大も東大に引けを取らない存在です。ただし、一般的なイメージは過去の学生運動の影響を受けやすいことがあります。

京大の独自の学風や自由な校風も、こうしたイメージに一役買っているかもしれません。自由な校風が、個々の学生の自主性を尊重し、多様な価値観を受け入れる土壌を作り出しているため、政治的な活動が目立つ一方で、学問の自由や革新を推進する雰囲気が形成されています。

それに対して、東大は伝統的に「学問の頂点」としてのイメージが強く、受験勉強や研究においても厳格な姿勢が求められるため、「頭が賢い」というイメージが強くなるのかもしれません。