これは「いじめ」ではない。明確な「暴行」であり「犯罪予備軍」だ
SNSで拡散された、校内で行われたとされる集団暴行の動画。
正直に言って、胸が悪くなった。
そこに映っていたのは、ふざけ半分でも、行き過ぎた悪ノリでもない。
明らかに、力関係を背景にした一方的な暴力だった。
にもかかわらず、いまだに「若気の至り」「学校内のトラブル」といった言葉で矮小化しようとする空気がある。
はっきり言うが、これは暴行であり、許される余地は一切ない。
加害生徒に問われるべきは「反省」ではなく「責任」だ
よくある展開だ。
「深く反省している」「二度としないと誓っている」──。
だが、反省の言葉で帳消しにしていい行為ではない。
動画に残り、拡散され、被害者の人生に深い傷を残す行為を、
「反省しました」で終わらせてよい理由など、どこにもない。
そもそも、本当に反省している人間は、
最初から集団で一人を囲み、殴り、蹴り、嘲笑する行為などしない。
これは衝動ではない。
日常的に他者を軽視してきた価値観の表出であり、
放置すれば、いずれ社会に向けられる凶器になる。
もっと重いのは「親の責任」だ
そして、ここで絶対に外してはいけないのが親の責任だ。
未成年である以上、
その行動の土台を作ってきたのは、家庭であり、親である。
・他人を殴ってもいいと思う感覚
・集団なら許されるという歪んだ倫理
・弱い立場の人間を見下す態度
これらは、ある日突然生まれない。
日々の言葉、態度、価値観の積み重ねの結果だ。
「うちの子に限って」「そんなつもりはなかった」
──その逃げの言葉こそが、最も無責任で、最も有害だ。
本来、親が最初に言うべきなのは弁解ではない。
社会に対する謝罪と、被害者への真摯な償いだ。
学校や社会が「なあなあ」で済ませてきたツケ
この手の事件が起きるたびに、
「教育の場だから」「将来があるから」と処分を軽くし、
曖昧に幕引きをしてきた。
だが、その結果どうなったか。
暴力を振るっても、人生は壊れない。
集団でやれば、責任は薄まる。
そんな間違った学習だけが、確実に次の世代へ引き継がれている。
被害者は一生傷を背負うのに、
加害側だけが「やり直し」を許される社会。
その歪みを、もう直視すべき段階に来ている。
最後に
これは「炎上ネタ」ではない。
これは社会の底が抜けつつあるサインだ。
暴力を暴力として扱わない。
親の責任を曖昧にする。
被害者よりも「空気」を優先する。
そうやって目を逸らしてきた結果が、
今回のような映像として、私たちの前に突きつけられただけだ。
本当に守るべきなのは、加害者の将来ではない。
理不尽に踏みにじられた側の尊厳だ。
その当たり前を、これ以上、忘れてはならない。