我が国が硬すぎるなら「私の国」とか「ウチの国」とかでもいいんですけど。韓国語のウリナラのほうかちょっと複数形のニュアンスというか「ウチらの国」みたいなニュアンスが強いと思います。
で、その「私の国(ウリナラ)」を娘に使われると…
はい!疎外感!!!


この間の休日の説明で…なんの日なの?と聞くと
「ウリナラができた日だよ!」
保育園で習ってきたんでしょう。それ自体を責める気はありません。
でもその「ウリ」に私は入ってないので疎外感感じちゃう〜。
「韓国」は客観的な言葉だからまぁ例えば地球の外側とかから娘と並んで韓国について見て話しすることができる。同じ視点で同じ場所から。
(蛇足だけど、これは何年か前から私が気をつけてること。夫と韓国や日本について話すときは地球の外側から同じ場所に立った目線で場所共有型で話す。私は日本の地に、夫は韓国の地に立ったまま対立型で話をしないということ。ちょっと抽象的だけど…。)
でも「私の国(ウリナラ)」って言われると娘はウチの人で私はソトの人で。範囲外に外されたような感覚。私の国とは違う娘の「私の国」。一緒の目線で見られないという疎外感を感じます。家族なのに…ってのが余計に。
そんなめんどくさいことを5歳の娘に言うわけにもいかずモヤる〜
ただの言葉の問題。慣れていくしかないのかなぁ。