「悩みなさそう」とよく言われる。


雑誌のインタビューとかでウンウン、と聞いてくれていたライターさんが、ふとペンをとめて

「もっとこう、なんていうか、挫折とか… したことないですか?」と言われたのも、一度じゃない。


紹介されるときの形容詞はだいたい「いつも元気な人」。(小学生じゃないですよ~)


昨日なんてついに、「歩くパワースポット」とまで言われ、

「ほんとだ~。いい波長~」とか言って、肩に手をかざされた。





…いったい、どういうことなんだろう。





挫折がないわけじゃない。

悩みがないなんて、あるわけない。


よく知ってる人はみんな、私がどちらかといえば毎日小さな失敗や忘れ物、

失礼でウッカリな行動を100も200も重ねていることをよく知っている。

プライベートはもちろん、仕事だってそうだから、本当に困りもの。


ただ昔から、自分のそういう失敗や弱いところとトコトン向き合って、

時間をかけて昇華させることがヘタクソで、じっくり反芻しないままに

とにかく目の前のことを「受け入れちゃう」(そしてある程度までは「忘れちゃう」)癖があるので、

そのまま「元気に」前に進めてしまうのだと思う。


そんな風に、どうしても「今」しか生きられない私は、

子どもたちが生まれたこともあって、確かにその性癖を加速させているかもしれない。





船乗り日記




本当は、向き合ったほうがいい悩みも、課題も、弱さも、たっぷり引き出しにしまってある。


本当は、苦しいことに真正面からじっくりと向き合って、時間をかけて消化して、

それを静かな優しさや強さに変えて身にまとっているような人がまぶしくてしかたがない。


本当は、自分だって、そうやって立ち止まって、静かな優しさを纏いたいと願っている。





船乗り日記



今にはじまったことではないけれど、

最近あまりに「悩みなさそう」と言われる機会が続き、どうしたものかと思っていた折、

大学ウィンドサーフィン部時代からの盟友、greenz.jpの広美 から、いいことばを教えてもらった。


「いま」を大切にしようとする自分を、というか今しか生きられない自分を、そのまま肯定できる言葉。



   Yesterday is history.
   Tomorrow is a mystery.
   Today is a gift.

   That's why it's called the present.  The origin of this text is unknown.


     昨日は、ヒストリー(歴史)。

     明日は、ミステリー(謎)。

     今日という日は、ギフト(贈り物)です。

     だから、英語で「現在」のことを「プレゼント」と呼ぶのです。   (詠み人知らず)




なるほどね~。

that's why it's called "the present"!!!


そうなんだよね、目の前にいる大切な人と過ごす時間、目の前にある大切な場所で過ごす時間、

いつどこで誰と時間を共にしていたとしても、それがすべて「贈り物」だと思えば、クヨクヨしている暇はない。

「今、ここ」を全身で楽しみ、それが周りとも共有できるなら、それでいいのだ。




船乗り日記
(子どもたちの社会は「ヒト多様性」の宝庫。3人集まれば、三者三様なのは当然のこと。それがいいのだ!!)




そして、いつもながらタイムリーなことに、師匠の辻信一さんとそのお仲間たちが

サティッシュ・クマールのDVDブックを世に送り出した。


その名も、

サティシュ・クマールの 今、ここにある未来 with 辻信一



船乗り日記



東洋の思想と西洋のエコロジーを融合させ、

今を生きる私たちの言葉に翻訳してくれるサティッシュが素敵なのはもちろんのこと、

辻信一さんの言葉も、いつもながらとても素敵なので、ここに一部拝借。



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サティシュといる今、ここ    辻信一


サティシュはぼくにとって先生であり、精神的な師であり、

環境運動や平和運動の指導者なのだが、ぼくは友だちのように彼を「サティシュ」と呼んでいる。

でも、それが普通なのだ。サティシュがそれ以外の呼び方で呼ばれるのを、聞いたことがない。

そして、誰もが格別の親しみをこめて、彼の名を呼ぶ。まるでその名を呼ぶこと自体を愉しむかのように。


ぼくは彼の話を聴くのが大好きだ。

同じ話を何度も聞きたいと思わせる、彼は数少ない人だ。

話の内容がいいのはもちろん。

でもそれだけではない。彼と話す愉しさは、彼と共にいる愉しさでもある。


ぼくは彼と一緒にいるだけでうれしい。

彼も、あきらかにぼくと一緒にいることを喜んでいる。

そして、おそらく彼はだれとでも、その人といることを存分に愉しめる。

彼がどこかでだれかといる、あるいはひとりで何かをしている、と考えるだけで、ぼくの心がホッと落ち着く。

そんな感じなのだ。


「今、ここに、いる」――Being here and now

ということの意味をサティシュほど実感させてくれる人をぼくは知らない。


「いる」というと、何か、動きのない受け身的で消極的なあり方をイメージするかもしれない。

ぼくたちの生きている現代社会は、「する」価値ばかりが称揚される“するする社会”だ。

「する」は行動的で積極的で発展的な生き方をイメージさせるのに、

「いる」は、変化に乏しい退屈な日常をイメージさせる。

そこでは、「すること」の過剰によって、「いること」の意味が奪われている。


しかし、「無為」の思想を唱えるタオイズム(道教)の祖、老子によれば、

あれこれ「すること」が積極的な生き方だというのは単なる偏見にすぎない。

そして、実は、「しないこと」や「いること」からこそ本当のダイナミックなエネルギーが流れ出す。

「今、ここ」から、未来は紡ぎ出されるのだ。

仏教思想家であり僧侶であるティク・ナット・ハンも言っている。

「何よりも私たちの時間は、ただ在ることのためにあります」、と。


(以下、略。全文はナマケモノ倶楽部サイト でどうぞ~)

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そうそう。そうなんだった。

「いま」という時間は贈り物であり、「いま」こそが未来である。私はそういうことを大切に思っているんだった。 



「悩みなさそう」だろうと、「歩くパワースポット」だろうと、自分は自分のままで、まあいいか。




大好きな夏も、折り返し地点を過ぎてしまった。


今日という日を、大切に生きよう。