男性国民の義務として訓練を行っている国がある。
それを肯定するわけではない。
しかし、昨今のニュースを見ていると日本も強制的に精神の再教育をする期間が必要ではないだろうか?
追伸: しかし残念ながら、軍役期間を通じて精神は正されるようであるが、青少年の犯罪及び凶悪犯罪が増加しているのもまた事実である。
じゃー、一体どうしたらいいんだ・・・。
男性国民の義務として訓練を行っている国がある。
それを肯定するわけではない。
しかし、昨今のニュースを見ていると日本も強制的に精神の再教育をする期間が必要ではないだろうか?
追伸: しかし残念ながら、軍役期間を通じて精神は正されるようであるが、青少年の犯罪及び凶悪犯罪が増加しているのもまた事実である。
じゃー、一体どうしたらいいんだ・・・。
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年老いた親を目前にした時、親孝行とは何かを考える。
長期的に見れば、親に体を動かすように仕向けることも一理ある。 同時に、今まで苦労を重ねてきたのだから楽をさせてあげようという のも、親孝行である。
形ではなく、親を思ってとる行動は、親孝行ではないだろうか。
私の母も近くに畑を借りて、天気の良い日は、時間を作って畑に 行き、色々な野菜を作っては近所の人に配っているようだ。
母が楽しそうにしている姿を見ると、私も楽しくなる。 |
ご主人さんは何故、死亡届けを出したのか。
離婚して、奥さんに対しての補償が嫌だったのか。
奥さんは、どうして戸籍を取り戻せば良いのかわからなかったといっているが・・・
世の中には不思議なことが一杯だ。
日韓関係における大きな問題である。
戦争統治により所有権が韓国から日本に移った。
そして終戦を迎え、韓国が国力をつけ島の返還を求めてきた。
本来、自国の所有していた島であるから返して欲しいという訳である。そして、自国の領土を主張するために韓国民が移り住み、実力行使に出てきた。
無人島であった独島は、韓国が所有権を認める以前はどちらの国のモノでもなかったと思う。その周囲でお互い漁をし、双方の漁業が成り立ってきたと思う。
韓国古来の島という文献があったとしても、韓国側が自らが書いた文献であり、日本側に文献が無くてもその周囲で漁業を行ってきたというのも事実である。
争いは、自らの立場を主張し、相手の言い分を聞いて解決策である共に発展する方法を見出せないがために起こると思う。
相手を悪く言う前に、どこで相違が生じ、お互いが発展するために議論をしたい。
韓国において、あるいは日本に強制連行をして、韓国民を苦痛におとしめた日本の罪は大きい。加害者と被害者の立場である。時が過ぎても、まだ60年前のことである。その痛みは未だ癒されることは無いと思う。
独島問題、靖国問題。対日感情をあおる材料は多い。
屈辱をバネに、日本に追いつけ追い越せで頑張ってきた韓国。いまや経済大国の仲間入りを果たした韓国。被害者意識から一歩抜け出た日韓関係の向上のために意識を向けて欲しい。
同時に優れた精神文化をいつまでも維持して欲しい。
ファッションの自由。個性を出したい。
親たちは子供に自分の夢を託す。
街を歩くと、大人以上に着飾った子供たちでいっぱいである。
それはそれでかわいいのであるが、
着飾らない、純粋な子供たちの姿ほど愛らしいものは無いと思う。
チェ・ホンマンといえば、K-1で今脚光を浴びているが、私はシルム(韓国相撲)の王者(天下壮士)のイメージが強い。
日本の相撲も迫力があるが、シルムは、お互い組み合った状態で相手に技をかけ、モレパン(砂の土俵)に倒す。韓国伝統のスポーツである。
日本のように熱烈な支援団体もなく、システムもなく、バスケット、野球、サッカーに若い人材の目が向き、彼が所属していたシルム団も廃部となってしまった。
彼も他のシルム団からの誘いがあったが、悩んだ末、総合格闘技の道を選び、自らを危機に追い込んだ。
国民の大多数は、張り合うことも無く、殴ることも無いシルム選手が果たして総合格闘技で成功できるのであろうか。おそらく難しいであろうという意見が大半であった。
しかし、その予想を覆して彼は人一倍練習をし、結果を残している。
総合格闘技で目標を達成できたなら、またモレパン上のチェ・ホンマン天下壮士を見たいものだ。
虐待と体罰。暴力。折檻。躾。どこまでを境とするのか?
子供(人)が間違った道に進もうとするとき、相手を思って行う好意は虐待であろうか。
幼い子なのに・・・、まだ若いのに・・・。話せば判るじゃないか・・・。何もそこまで・・・。
さまざまな言葉が飛び交うが、いくつになっても子供に対する責任は親にあり、年老いた親に対する責任は子供が持つ。親友と呼ぶのならのなら、自らが友としたその親友にも責任を持ちたい。
人を叩き、殴ることを肯定するわけではないが、そこに愛情を持った深い信頼関係があれば、問題になるのであろうか?
自らの利益を追い求め、自分を中心として考えるのなら、それは言葉であっても暴力であり、虐待ではないだろうか。
5月5日、日本では『子供の日』。
韓国も同じで『オリニ(子供)ナル(日)』である。
天真爛漫な子供たちの姿を見ていると心が和む。
この子供たちが、私たちの未来を担ってくれるのだ。
そう考えると、この子供たちのために私に何が準備出来るのか。
『子供の日』であると同時に『大人の責任を考える日』としたい。