昨日のブログでは、錦織さんの1999年について調べたことを書きました
相当ヒマ人だと思われたでしょうね~
うん、その通りだったんですけど
そして、夏休み中、まだまだ時間があった私
ふと思ったんです
錦織さんのことを知らなかった1999年
私はいったい何をしていたんだ、と
そこで、夏休みに作った自分年表から私の1999年をさらに詳しく調べてみました
この年に私が最も印象に残っている曲はモーニング娘の「LOVEマシーン」
これを聞くと忙しかった1999年の記憶がよみがえってくる
そう、錦織さんには程遠く及ばないが、1999年は私も私なりに忙しく、アグレッシブに行動した年だった
では、どうでもいい話だけれど、私の1999年を振り返ってみよう
1999年
自分の趣味で忙しかった年
芝居とヨガとジャズダンスと舞踏をやっていた年
私が記録しているだけで、3作品の芝居、それから舞踏の舞台にも出演させて頂いた
その他に、小学校での芝居の上演、ジャズダンスの発表会もあったような・・・
この年は6~7回舞台に立たせて頂いたのではないか・・・
フルタイムで働いていたけれど、実家暮らしだったので楽しいばかりだったような気もする
仕事終わりに、毎日何かの練習に出かけていく自分に酔ってたわ
翌年2000年の2月に新作の公演があったので
1999年の終わりころは、芝居の練習も忙しかっただろうね
そして、29歳の私、かなり尖っていた記憶が・・・
1999年、夏の社員旅行で社長と意見の相違でぶつかり合い、退社を決意
決意しただけで、その頃から準備を進め、華麗に転職することを心に描き、退社のタイミングをはかっていた
まずはパソコンの技術を身に付けるべく、秋からパソコン教室にも通い始めた
年末年始の会社が休みの間は、割のいい夜間のアルバイトにも出かけた
あ、健全なアルバイトですよ
コンビニのおにぎりとかサンドイッチを作るアルバイト
そうして貯めたお金でパソコンを買ったもんね~
ま、そのパソコンを買ってメールすることを覚えたおかげで結婚できたんだけどね
当時は携帯電話も持っていなかったから
パソコンがなかったら、当時関東に住んでいた夫と付き合いはしなかっただろうな
というのもよ
夫と知り合って、結婚するまでに実際に会ったのは7~8回くらいではないだろうか
いまだに自分がなぜ結婚する気になったのかは謎であります
話は逸れたけれど、前日のブログでも書いた「自称・郷ひろみ似」の会社の社長
意見の相違でぶつかった、と書いたけれど
今思い返すと、私が一人で「許すまじ!!」と怒ってしまった気がする
私も頭が固かったのよね~
ザ・金性(肺・大腸)さんって感じでさ
会社の決まりとかにうるさくて、白黒ハッキリしたいって感じ
当時の潔癖な私には、小さなセクハラまがいのことは許せなかった
いや、私が何かされた訳ではなかったの
パートさんの不満を耳にしてしまってねー
無駄に正義感が強かったから、使いにくい人間だっただろうね
小さな会社で経理を任されていたしさ
キッチリカッチリお金の計算していいて
社長以上に会社のことを把握している自負があった
だから、社長も私には頭が上がらない感じだったな
ちゃんと思い返すと、社長からは頼りにされて、かなり優しくしてもらったよ
私の方がヒドイことしちゃったかも
社長は私に声を荒げることは一度もなかったし
周りの人たちは私の社長に対する態度がきつ過ぎるって言ってたわ
ということで、その社長の十八番であった「GOLDFINGER'99」は嫌な思い出の曲ということでした
ちなみに1999年の最大のヒット曲は「だんご3兄弟」だよ
以上、本日は昨日のブログよりさらにどうでもいい内容でした
失礼いたしました