今日も昨日のオタクブログの続きっぽいんだけど・・・
あれからずっと考えているのよ
自分は自分であるかってこと
錦織さんだけでなく、本当の自分と他人に見せる自分は違うことって誰でもあるでしょ?
役者でなくても、いろいろな自分を演じるでしょ?
別にそれは偽っているワケではなく、その状況に応じて態度も言動も変えるでしょ?
いつも素の自分を見せる必要はない
演じている自分だって、それは自分の一部であるのだから、それでいいじゃない?
でも、やっぱり、自分に正直にならないと苦しくなっちゃうかな
やりたい事はやりたい、と正直に言わないと苦しいかな
あの記事を読んでから、そんなことを考えている
考えているだけで、何も口に出してはいないんだけど
娘が面白いことを言ってきたんだよね
昨日の母と娘の会話を簡単に再現してみよう
娘:お母さんってさ、昔より若いよね。
私:昔っていつ?
娘:中学校の頃かな?
私:はぁ??
娘:おばあちゃんちでお母さんのアルバムを見たけれどさ、写真の顔が死んでた(笑)
私:あー、そうかも。あの頃はいつも目が虚ろだったもんねー。生きている実感がなかったわー。
と、こんな会話がありました
さすがに中学の頃と比べて若いと言われても喜べない
中学の頃の写真ってコレかな?
↓
これは以前、Facebookで友だちだけに公開したものだけれど
中学の頃の写真の中でも、かなりまともなヤツね
だから公開したんだけどさ
でも、思い返してみると、私って子どもの頃は自分がなかったわ
なんだろう?
何のために生きていたんだろう?
普通に楽しいこともあったけれど
本当の自分という感覚がなかった
私を含め、誰も私のことは分からない
そんな感覚を持っていた気がする
つまり、今は本当の自分ってことかな
きっとそうだな
自分らしく生きてるってことよね
私のアルバムを見た娘もさ、本当に今の私の方が若いとは思ってないと思うのよね
多分、エネルギー的なことかな
昔の私には若々しいエネルギーがなかったんだろうね
ただそこに居るってだけね
ほら、今の方が子どもっぽいかも??
「錦織さんの芝居のチケットを取らないけん!」って騒いだり
ネットのニュースに一喜一憂し、娘達に報告する私の姿を
娘は冷ややかに見つつも微笑ましく見守ってくれているのではないか
と勝手に解釈した
どっちが親やねん