ブログネタ:ブログを書く理由は?
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ごく若いころ、みっともないなぁと思っていたことがある。
それは、自分の子どもの写真を人に見せる行為だ。
子どもが生まれてうれしいのは分かる。
かわいいのももっともだ。
だが、それは自分にとってであって、
他人から見れば、しばしば見栄えのしない、
どこにでもいるガキなわけだ。
それを弁えないのは、客観性を喪失した、
知性ある存在にあるまじき振る舞いとしか
当時のわたしには思えなかったのである。
もちろん、それはほほえましい行為ではあり、
悪いとはさらさら思わなかったのだが、
ある種、他人の善意につけ込んでいる部分を感じて
好きになれなかった。
子どもはかわいいものであり、
その写真を見せるのは好意の表れであり、
見たものは、最大級の賛辞を贈るのが当然、
そういう意識が垣間見えた。
それから幾ばくかの時を経て、
いまわたしは猫バカ話をブログを書いている。
しばしば思う。
自分のやっていることは、
昔自分がみっともないと思った、
客観性を喪失したオヤジの子ども見せびらかしと
本質的に同じじゃないかと。
見たくなければ見ないですむブログであるから、
押しつけがましさの度合いは低いであろう。
だが、そこはたぶん重要じゃない。
ああ、うちの猫はなんてカワイイんだろう。
たくさんの人に見てもらいたい。
カワイイ姿を見て幸せになってほしい。
できればいっぱいいっぱいほめてほしい。
言葉に表せば、なんともアホの極みであるが、
わたしがブログを書く最大の理由はたぶんこれなのだ。
せめてものけじめとして(?)
こういうブログを書くのは、恥ずかしいことだってことを
忘れずにいたいと思う。
ごく若いころ、みっともないなぁと思っていたことがある。
それは、自分の子どもの写真を人に見せる行為だ。
子どもが生まれてうれしいのは分かる。
かわいいのももっともだ。
だが、それは自分にとってであって、
他人から見れば、しばしば見栄えのしない、
どこにでもいるガキなわけだ。
それを弁えないのは、客観性を喪失した、
知性ある存在にあるまじき振る舞いとしか
当時のわたしには思えなかったのである。
もちろん、それはほほえましい行為ではあり、
悪いとはさらさら思わなかったのだが、
ある種、他人の善意につけ込んでいる部分を感じて
好きになれなかった。
子どもはかわいいものであり、
その写真を見せるのは好意の表れであり、
見たものは、最大級の賛辞を贈るのが当然、
そういう意識が垣間見えた。
それから幾ばくかの時を経て、
いまわたしは猫バカ話をブログを書いている。
しばしば思う。
自分のやっていることは、
昔自分がみっともないと思った、
客観性を喪失したオヤジの子ども見せびらかしと
本質的に同じじゃないかと。
見たくなければ見ないですむブログであるから、
押しつけがましさの度合いは低いであろう。
だが、そこはたぶん重要じゃない。
ああ、うちの猫はなんてカワイイんだろう。
たくさんの人に見てもらいたい。
カワイイ姿を見て幸せになってほしい。
できればいっぱいいっぱいほめてほしい。
言葉に表せば、なんともアホの極みであるが、
わたしがブログを書く最大の理由はたぶんこれなのだ。
せめてものけじめとして(?)
こういうブログを書くのは、恥ずかしいことだってことを
忘れずにいたいと思う。