新しくコカコーラ社が発売しだしている
ビタミンウォーター。(200円)

恐らくビジネスマンがターゲットで
缶コーヒー(ジョージア)に続く新しいジャンルの開発。

確かに、コーヒーは好き嫌いがはっきりしていて、
自分の周りにも絶対に飲まない人も結構いる。
そんな缶コーヒーの非飲料者の取り込みを狙っているのかな。


つぶやき太郎-ビタミンウォーター①


売り方で面白と思ったのが、
ターゲットと提供価値を明確にして売っているところ。
機能面と情緒面の双方を意識していて
しかもコミュニケーションストーリーにまで落としこめれている。

どんな体調でどんな気分の人がターゲットの飲料なのか?
また、これを飲むと、気分と体調がどうなるのか?

ここまでを具体的にイメージ喚起ではなく意識させることを狙っている。


思わず目が行き、思わずコピーを読んだしまい、購入しちゃいました。




つぶやき太郎-ビタミンウォーター②


有名なマズローの欲求の段階説だと
間違いなく飲料用品は
段階として最初にくる生理的欲求を補うもの。


ようは、
喉の渇きを潤すことができれば何でも良いが本音で、
メタボを気にして、ヘルシアや黒ウーロン茶に手が行く人以外、
ほとんどの人は、水やお茶を選ぶであろう。


つぶやき太郎-マズロー欲求段階説

このような生活者の心理を

少し高いけれども、ターゲット及び機能的&情緒的価値を
明確にして、かつコミュニケーションストーリーにま落とすことで
買う人に自分事として捉えさせている。


生理的欲求+αで自分事化


自分事化のための+αが差別化要素となり
そこが刺されば、自分事として捉えられ、結果として
差別化された商品として市場浸透する。

自分事化のための+αの要素をいかに機能面・情緒面の双方で
コミュニケーションストーリーとして組み立てられるかが
今後マーケティングでは重要になってくるであろう。




「競争社会」

社会人になる以前に、よく耳にした言葉で
就職するまで会社は他社との競争に勝ち残っていく場だと思っていた。

それゆえに、
何でも一人でできるようになりたいという思いが強く

その「やる気」を買われ
比較的早くから、色々と任せてもらえ、チャレンジをさせてもらったが
周りと協力しながらといった意識が欠けていたため、
うまくいかないことが多く非常に苦労した。


そんな苦い経験があったせいか
「仕事」とは?といったことについて考えることが多く

つまるところ仕事を通じて得たいものは
①「感動」
②「お金」
だと今のところ結論付けている。

ちなみに、なぜこの順番にしているかと言うと
「感動」を多くすることで、結果として「お金」がついてくると考えるからです。

シンプル考えると
生活者にどれだけ小さな感動を与えられるかを突き詰めることが大切で
その結果が自分自身の感動につながり、収入にも跳ね返ってくる。

そう考えると
違和感を感じる「競争」という言葉。
(言葉から伝わる印象の問題もありますが)

企業内に競争が全くない、もしくは必要ないとは思わないが、
企業とは、むしろ一蓮托生の精神で、世の中に感動を作る
公器の場という意味合いの方が強いと思う。

そうなると
共に学び、共に成長するという「共創」という言葉の方がしっくり
くるし、そのような価値観で働きたいと強く思う。
「共創社会」

実際働いていると、様々な利害関係やプライドが邪魔をして
いつのまにか、本質ではないところで競い合っている人を
よく見ますが、非常にもったいないと思う。
(自戒も込めて)


アメリカの週刊誌「タイム」が20世紀を代表する人物として
選んだアインシュタイン。

初の大西洋単独無着陸飛行を成功させたリンドバーグ、
ルーズベルト大統領やクライスラーなど数々の世界的な
著名人を押しのけての選出であり、
それだけアインシュタインの功績(相対性理論の発見)は人類への
影響が大きかったとのこと。

あなたにもわかる相対性理論 (PHPサイエンス・ワールド新書)/茂木 健一郎

¥840
Amazon.co.jp

この著書で茂木健一郎は、アインシュタインの凄さは
徹底した「ゼロベース思考」であったと述べている。

他の優秀な物理学者も含め、常識として考えていることに対して
疑いをもってゼロベースで考えるスタンスが徹底されていて
それが、世紀の大発見へと繋がったと。


このことを現代社会において当てはめて考えてみると
社会に出て働くと当たり前のものとして
受け入れられていることが非常に多い。

特に企業は社員を動員するために
カルチャーとして働き方やコミュニケーションのとり方など
気づいたら強制させているといったことは良くある。
一般社会しかり・・・。

年をとるにつれて、当たり前ではあるが固定観念でガチガチな人に
出会うことが非常に多いし、そういう人に魅力を感じることって
ほとんどない。

包摂性を失いつつある社会であるからこそ
自明の事として受け入れてしまっていることを
改めて疑って見ることが必要で
そのスタンスで挑むことが、事象に振り回される事無く
一歩引いて物事を俯瞰することができることに繋がるのかと思う。