前回、依存症の理由について考えることが大事という話+私がギャンブル依存症を克服できた方法、逆に合わなかった方法について話しました。


今回、依存症の理由について考えることが大事の掘り下げを少ししてみます。


まず、何故それに依存してしまうのか?

私の場合は、何故パチンコをしてしまうのか?でした。

理由は前回述べた②お金が欲しいから、です。


その後、依存していると困ることがあるか?と考えてみます。


ギャンブル依存症の場合なら、困ることはざっくり考えて、

①お金がなくなる

②時間がなくなる

③周りの人に迷惑をかけたり交遊関係がなくなったりする(主に①②が要因かと)

④多分脳とか体に良くない…(パチンコパチスロは特に)みたいなのもありますかね。


で、私の場合、①②が主に困ることでした。

切実に①が大きかったですが…、今は②の方が取り返せるなら取り返したいけど覆水盆に返らずです。


そこで、やりたい理由を思い出します。

パチンコやりたい理由

お金が欲しいから


んんん???


パチンコやり続けると困る理由

お金がなくなるから


なんこれ…???

ってなりますね。


何言ってるんだこいつ、ですね。

矛盾の塊。

今はそう思えます。

当時はそれすら理解してるつもりでできてなかったんですね。

だからやめられなかったのですが。

冷静に考えると本当に意味がわからないです。


ギャンブルに限らずかもですが、何かに依存している時、依存する理由、依存していると困ることを書き出してみると気付きがあるかもしれません。


困る理由がやりたい理由より大きなことなら、そこから抜け出す必要があります。

逆に、困る理由が大したことないなら、やり続けることにより得られることが大きいなら、やめなくていいんじゃない?と思います。


1億持っててギャンブルで100万くらい失っても楽しめるならやめる必要もないですし。

失った時間は戻らないですが、ギャンブルする時間で満たされる、無駄な時間だったと思わないならそれでいいと思います。

人が離れていってもそれ以上に価値あることならやめる必要ないです。


やりたい理由、やめないと困る理由を天秤にかけてみて、やめないと困る理由が重いなら、やめればいいだけ。

やめないと困る理由って、言い換えたら、やめたい理由、なので。


やりたくないことわざわざやってるって考えたら馬鹿馬鹿しくなりませんか?


と、ギャンブル依存だった頃のことを少し冷静に考えられるようになって、今更ですが気づいたりしたのでした。



ギャンブル依存していた時の感覚として、直結する問題が貧困だったものですから極論生死に関わる問題だったのもあり、人間関係に悩めるのって人としてまだ幸せな方だな…と思っていました。

お金がないという状態だと、人として最低限の生活を守れるかどうかって次元で考えてたので、友達関係がどうとかぬるい悩みに感じていたんですね。

人間関係に悩みを感じたら、あ、私今幸せなんだな(お金以外のことで悩むことができるんだから)って思ったりすらしました。

別に解決しなくても死ぬことないから。


まあ、今としては人間関係の方が自分ではどうにもできないことも多いのでお金の悩みより大変かもしれないなあとも思います。

ただ、死にはしないんですよ。

ごはんも食べられるし寝る場所もあるし。


人間関係から生ずる依存にも長いこと悩まされてきたのですが、人間との関係を切ったり切られたりってなると傷つく人が出てきたり自分が傷ついたりするじゃないですか。


ギャンブルとの関係を断ち切るのって誰も傷つかないんですよね。

パチンコ台は切り捨てても、捨てないでくれとか裏切り者とか思いもしませんし。

パチ屋の店員も一人客がいなくなったところで何も思いません。


物や事象に対する依存ってそんなもんです。


今まで大事にしてきたから、ここでやめたらマイナスだから、そう考えて必死にしがみついていたとしても、いらないって思ったらすぐにでも捨ててしまっていいものなんです。

しかも面倒な手続きや言い訳なしに。


今やめたらもったいないとか思うならコンコルド効果(※)について調べたりすると良いです。


案外あっさり捨てられるものですよ。



 ある対象への金銭的・精神的・時間的投資をしつづけることが損失につながるとわかっているにもかかわらず、それまでの投資を惜しみ、投資がやめられない状態を指す。超音速旅客機コンコルドの商業的失敗を由来とする。(Wikipediaより)