とりあえず僕、寒いのが苦手です…
今日はみぞれが降ったりして、中々寒い一日でした(^^;;
早く、あったかくなってほしいな。
てことでたびにっき更新 !!
那覇と再会、そして旅の再開
僕は今、鹿児島行きのフェリーの中。
心の中には希望と不安の両方が入り混じり、全てを引っくるめてワクワクしていました。
とりあえず、ここに至るまでの経緯を話します。
あの感動の旅立ちから数時間後、僕は伊良部で一緒に宿の工事を手伝っていた岡山の兄ちゃんと合流。
兄ちゃんは一足早く宮古に滞在していました。
そして宮古島にも別れを告げて、二人を乗せたフェリーは那覇へと走り出した。
最初は人間観察したり、思い出話に花を咲かせたりして時間を潰してはいたものの、しばらくするともうすることもなくなり、最後の方は二人して寝ていた。
そんなこんなでフェリーが間もなく那覇に到着しようとしている頃、二人で甲板に出てみると、那覇のあまりの都会的景観にびっくり。
なにしろ、約半年僕はビルやネオンなどとは無縁の生活をしてきたので、那覇のきらびやかな夜の街には驚きを隠せずにいました。
そして船を下りて、お互いにギャーギャー騒いでいたが、結局。
「やっぱ、伊良部がえぇなぁ」
あの優しかった場所が
何故だか懐かしく思えた。
つい、つい数時間前まで、僕はその場所におったのに。
今はもう「思い出」に変身していた。
胸の中にぽっかり空いた穴を、久々に食べた念願のマクドナルドで埋めてみようとしたが、それでは埋まるはずもなく…
その日兄ちゃんは僕とは別の宿を予約していた。
僕は以前お世話になったあの宿へ泊まった。
建物は改修されていて、もちろんお客さんも知らない人ばかり、あの頃とは少し雰囲気が変わっていたような気はしましたが、すぐに宿のみなさんとも仲良くなり、たくさんの思い出を作ることが出来た。
次の日は一日兄ちゃんとレンタカーを借りて、首里城やらなんやらと沖縄ドライブをして。
翌日兄ちゃんは仕事のため岡山へ帰って行きました。
必ず再会する約束をして。
旅の終盤、この兄ちゃんとは岡山にて再会を果たすことになる。
・・・そして数日後。
僕は鹿児島行きのフェリー乗り場にいました。
沖縄にも、いよいよ別れを告げる時がきました。
僕は一人、待合室でいつも持ち歩いている日本地図を広げる。
当面の目的地は遥か彼方北海道。
そこで一人回想してみた。
「うーん、鹿児島戻って、熊本行って佐賀からの長崎、福岡から関門トンネル抜けて山口か…そっから島根、島根と言えば出雲大社やな。てか鳥取砂丘てどんなんかな?そんで兵庫から京都…関西やん!それから福井行って、福井は関西でいいんかな?お!能登半島どないしよ?そのまま富山行く?とりあえず新潟縦長くない?山形と言えばさくらんぼやろ?そんでから秋田入って青森、りんご!これでやっとこさ函館・・・・っていやいや北海道遠すぎるやろー!!笑」
時は2008年4月頭、2ヶ月後の6月に僕は20歳を迎える。
人生のひとつの節目となるこの20歳の誕生日。
僕の体はどこにおるんやろうか…
僕の隣には誰がおるんやろうか…
僕のこの目は何を見てるんやろうか…
そんな、全く想像のつかないこれから先の未来を考えると、僕はワクワクせずにはいれなくて。
そしてフェリーに乗り込み、いよいよ僕と、僕の夢を乗せた船が動き出した。
だんだん小さくなる那覇の街と反比例するかのように、僕の胸の高揚はだんだん大きくなっていく。
本土には、もうきっと桜が咲いているはず。
待っとけよ。北海道!!
今日はこのへんで !!
今週は月曜日から日曜日までがっちり仕事です!!!
訪問ヘルパーは走ってなんぼ!!
明日も一日張り切っていきます(^O^)
suna-Phoneからの投稿
僕の17歳下の妹「ちぃちゃん」の5回目の誕生日です(^ ^)
ちぃちゃんが生まれた時は、僕はまだ高校生でした。
砂田家は、両親が離婚して、僕は色々とありながら父親の方について。
ちぃちゃんは母親の再婚相手の方との間に生まれました。
当時は、再婚した母親との関係もあまり上手くいってなくて…
て言うか、高校生の僕は、反抗期真っ只中でした…(^_^;)
なので、ちぃちゃんが生まれた時も。
「ふ~ん」ぐらいにしか思ってなくて…
それから高校を卒業して、ほんの一瞬だけ働いて(^^;;笑
すぐに自転車に跨って行方不明になったわけですけれども(^_^;)
今このブログに綴っている自転車日本一周(たびにっき)を通じて。
自分に起こるたくさんの優しく、時には辛く、そして何より素晴らしい。
本当にたくさんの出来事が、今の僕の原点としてあって。
1年2ヶ月という年月を経て。
「命」というものが、出来の悪い頭ながらも少しだけ。
理解出来るようになって。
人は何の為に生まれてくるのか。
人は何の為に生きていくのか。
今でもたまに、考える事もありますが。
そんなの考えたところで、答えなんて出てこないし…
いや、もしかしたら答えなんてないのかも知れません。
ただ、生まれて。
ただ、生きていく。
それだけで、どれほど素晴らしい事なんやろう?
僕が高校生の時に生まれた小さな命は、初めはずっと泣くことしか出来ませんでした。
それが、やがてハイハイを覚えて、言葉を話すようになり、しっかり二本の足で逞しく歩けるようになって。
5年で、ここまで人間は変われる。
小さな命は、大人の僕にそう教えてくれました。
彼女がここに生きているだけで。
僕に「りゅ~じ~」そう言ってくれるだけで。
僕は心の奥から癒されて、そして励まされて。
また僕も、彼女に負けてられないな。
もっと頑張らないとな。
そう思わせてくれるんです。
ちぃちゃん、お誕生日おめでとう。
今年から小学1年生。
友達たくさん作って、素敵な学校生活を過ごして下さいね。
いつもありがとう。
10年後、彼氏が出来たら…
とりあえず兄ちゃんが彼氏判定するからね!笑
↑最悪ですね(^^;;笑
でも自分の妹でもこんな感じやから、きっと娘なんて出来た日には砂田大変やと思います(^_^;)笑
多分娘に嫌われるお父さんになりそうな気がする……
まぁ、そんな心配するより!
先にその娘のお母さんになってくれる人を見つけなあかんって言うとんでもないハードルが僕を待ち構えてますけどね!笑
恋愛がことごとく苦手な23歳の男子に、何かアドバイスなど頂けたら有難いですー!!笑
とにかく!!
ちぃちゃんおめでとう!!
これからもたくさんたくさん一緒に遊ぼうねー\(^o^)/!!
(写真は左から、僕、後ろに弟、真ん中にちぃちゃん、右が姉です)
家族大好きsuna-ppontaからの投稿!
新しいヘアスタイル中々好評です(^ ^)
出勤前に髪の毛整えると「今日も一日気合い入れていこか!!」ってなります(^O^)/
てなところでたびにっき更新!!
旅立ちの時
さとうきびバイトも終わりを迎え、最初はぎこちない感じだったおじー、おばー。
コトバは未だに理解しづらいにしても、表情や雰囲気で僕に伝えたいことが僕にも理解出来てくるようになっていた。
そこにはもう「ナイチャー」としての僕はいてなかった。
おじーも、おばーも、みんな孫のように僕に接してくれていた。
その中で、さとうきびバイト始めた当初から一番僕のことを気にかけてくれていたおばーが言ってくれた、本当に幸せな、有難い一言。
「今でもナイチャーは大嫌いだ。でも・・・本当に竜司は大好きだよ。孫みたいだね。またいつでも、伊良部に遊びにおいで・・・」
…長かったこの島での生活。
辛いと感じることもたくさんありました。
いつか帰るべき場所(大阪)があまりにも遠すぎて、友達や家族の存在があまりにも遠く、手の届かない場所にいるような感覚で。
寂しさに負けそうになる日々も続いたりしていましたが。
おばーの、この一言で全てがリセットされたように。
なんだか胸の奥底から救われたように思えて。
「間違ってなかった」そう思わせてくれた。
それからは毎日宿の改修工事を手伝わせて頂いて、慣れないペンキに格闘しながら、いよいよ。
この島を離れる時がやってきた。
その前日の夜は、宿のみなさんで手荒い送別会を開いて頂いて。
何かメッセージを残してもらえたらと白いTシャツを渡してみなさんにメッセージを書いて頂いてるうちに、それがとんでもない落書きTシャツに変身していたり、本当に最後の最後まで笑いが絶えることはなかった。
「こじろーありがとう!」
「こじろー頑張れよ!」
この島での僕のニックネーム。
ここでは僕は「砂田竜司」ではなくて「こじろー」として生きていました。
明日から、また「砂田竜司」が始まっていきます。
日が変わって。
今、僕は港で見送りにきて下さったみなさんと固い握手、抱擁を交わし、フェリーに乗っている。
ここから宮古島までフェリーで、また違う港から今度は大型フェリーで那覇へ。
…初めて、僕がここに来たあの日から、今日この日までのたくさんの思い出が・・・
一気に頭の中を巡り始めて。
「どんな素敵な思い出も
心にしまっておくべきなのさ 」
僕の素敵な思い出たちが詰まった、新しい(HOME)が、今確かにここにある。
「今でも思い出すよ
それでいいんだ」
この半年間が、僕とともに生きていく素晴らしい思い出になって。
「心配ないよ まだ歌えるよ
いつか帰るよ 僕だけのHOME 」
また新しい旅が、そして人生が始まります。
でもまたいつか、大きくなって必ず帰ってきます。
ついにフェリーが動き出した。
徐々に離れてく小さな、でも僕にとってはとても大きな優しい島。
僕は両腕を精一杯伸ばして大きく手を振り続けた。
段々離れていく港では、恒例の「お見送りダイブ」で見送ってくれてるみなさん。
約半年続いた「見送る側」
から「見送られる側」へ。
僕は。
新しいHOMEを離れる、切なさと、寂しさと、不安と。
また新しいHOMEを探す旅が始まる、とてつもなく大きな期待感。
とにかく僕は手を振った。
小さくなっても、姿が見えなくなっても・・・
また、ここから。
旅が動き出す。
走り出そう!
那覇についたら、とりあえずマクドが食べたい。
あっ、ローソンやセブイレにも行きたいな。
ファミマ一件しかなかったし・・・笑
それから・・・やっぱり・・・
知らない場所を自転車で駆け巡りたい!!
旅しよう!
目指せ北海道!!
ここからまた、新たな出会いを探す旅が始まります!!!
今日はこのへんで (^O^)/
「今日の敵は、昨日の自分。」
まだまだ人生これからです!!
suna-ponからの投稿
出勤前に髪の毛整えると「今日も一日気合い入れていこか!!」ってなります(^O^)/
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旅立ちの時
さとうきびバイトも終わりを迎え、最初はぎこちない感じだったおじー、おばー。
コトバは未だに理解しづらいにしても、表情や雰囲気で僕に伝えたいことが僕にも理解出来てくるようになっていた。
そこにはもう「ナイチャー」としての僕はいてなかった。
おじーも、おばーも、みんな孫のように僕に接してくれていた。
その中で、さとうきびバイト始めた当初から一番僕のことを気にかけてくれていたおばーが言ってくれた、本当に幸せな、有難い一言。
「今でもナイチャーは大嫌いだ。でも・・・本当に竜司は大好きだよ。孫みたいだね。またいつでも、伊良部に遊びにおいで・・・」
…長かったこの島での生活。
辛いと感じることもたくさんありました。
いつか帰るべき場所(大阪)があまりにも遠すぎて、友達や家族の存在があまりにも遠く、手の届かない場所にいるような感覚で。
寂しさに負けそうになる日々も続いたりしていましたが。
おばーの、この一言で全てがリセットされたように。
なんだか胸の奥底から救われたように思えて。
「間違ってなかった」そう思わせてくれた。
それからは毎日宿の改修工事を手伝わせて頂いて、慣れないペンキに格闘しながら、いよいよ。
この島を離れる時がやってきた。
その前日の夜は、宿のみなさんで手荒い送別会を開いて頂いて。
何かメッセージを残してもらえたらと白いTシャツを渡してみなさんにメッセージを書いて頂いてるうちに、それがとんでもない落書きTシャツに変身していたり、本当に最後の最後まで笑いが絶えることはなかった。
「こじろーありがとう!」
「こじろー頑張れよ!」
この島での僕のニックネーム。
ここでは僕は「砂田竜司」ではなくて「こじろー」として生きていました。
明日から、また「砂田竜司」が始まっていきます。
日が変わって。
今、僕は港で見送りにきて下さったみなさんと固い握手、抱擁を交わし、フェリーに乗っている。
ここから宮古島までフェリーで、また違う港から今度は大型フェリーで那覇へ。
…初めて、僕がここに来たあの日から、今日この日までのたくさんの思い出が・・・
一気に頭の中を巡り始めて。
「どんな素敵な思い出も
心にしまっておくべきなのさ 」
僕の素敵な思い出たちが詰まった、新しい(HOME)が、今確かにここにある。
「今でも思い出すよ
それでいいんだ」
この半年間が、僕とともに生きていく素晴らしい思い出になって。
「心配ないよ まだ歌えるよ
いつか帰るよ 僕だけのHOME 」
また新しい旅が、そして人生が始まります。
でもまたいつか、大きくなって必ず帰ってきます。
ついにフェリーが動き出した。
徐々に離れてく小さな、でも僕にとってはとても大きな優しい島。
僕は両腕を精一杯伸ばして大きく手を振り続けた。
段々離れていく港では、恒例の「お見送りダイブ」で見送ってくれてるみなさん。
約半年続いた「見送る側」
から「見送られる側」へ。
僕は。
新しいHOMEを離れる、切なさと、寂しさと、不安と。
また新しいHOMEを探す旅が始まる、とてつもなく大きな期待感。
とにかく僕は手を振った。
小さくなっても、姿が見えなくなっても・・・
また、ここから。
旅が動き出す。
走り出そう!
那覇についたら、とりあえずマクドが食べたい。
あっ、ローソンやセブイレにも行きたいな。
ファミマ一件しかなかったし・・・笑
それから・・・やっぱり・・・
知らない場所を自転車で駆け巡りたい!!
旅しよう!
目指せ北海道!!
ここからまた、新たな出会いを探す旅が始まります!!!
今日はこのへんで (^O^)/
「今日の敵は、昨日の自分。」
まだまだ人生これからです!!
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