前回の続きです。FJ5周年記念式典の2日目!

 

ホント、話してきましたよ。。


↑やーまじ肝を冷やしました。。

3名でお話する機会だったのですが、他の2人は実績も十分で、
見た目も明らかに爽やかイケメンだったので、
僕は僕で等身大で一生懸命お話させて頂きました。


けど、なぜか会場から笑いが起こる。なんでや。
あ、でも個人的には尊敬するお方から質問を頂いたことがうれしかったです!

AKB37さん、ありがとうございました!

終わった後に色んな方から「面白かったです」とか、「ぶっとんでますね」とか、
色々(散々?)言われたのですが、ちょっとマジメに思ったことがあって。



たとえば、「思いつくけどやらねーよ」ってことって、
・知識がない
・失敗したらどうしよう
・自信がない
・そんなにすごい人じゃないし
・やったところで面白くなさそう
・そもそもやる価値あるの?
などなど、色んな理由があると思います。

僕が前職で働いているとき、一番いやだったのは、
「それは出来ません、何故ならそんな雰囲気だからです」
という回答でした。
正確には、規則だったりルールだったり、慣習だったり、色々です。

要は、出来ない理由を並べられるんですが、
もし、そこにかかる時間と費用を勘定して、それが得られる価値を超えないと、
客観的事実として証明できるならそれはそれでQEDだとは思います。

だけどそれって、
・まずそんなこと明確に分からないし、
・そもそも未来のことを確定した情報では出せないし、
っていうかそれって誰のためにやってるの?
・誰かのためになる行為が何かを選択して、言ってるの?
という、僕の中でずーっとわだかまりがありました。

だって、目の前で「困ってる」って声をあげてる人がいるんですよ。
おばあちゃんが重そうな荷物引きずってたら持ちません?
ベビーカーを地下鉄に乗せるのが大変そうなママがいたら助けません?
移植医療で不安な患者さんには少しでも負担を軽くしたいと思いません?

それを解決しようと動くものの、若い僕は色々な迷惑をかけ、
結果として人を傷つけることもたくさんありました。
実際、仕事だけじゃなく、プライベートでも色んな人に迷惑かけましたし。

でも、「誰かのためになることをしたい」と本気で思うのなら、
自分の中にある「出来ない理由」「やらない理由」って、
割と払拭できるんじゃないかと思います。
だって、やらないと誰かが可哀そうなことになるから。

それで自分の配慮が至らなかったり、
小さな親切が大きなお世話だったりして、
誰かに迷惑をかけたら、それはそのとき全力で謝ればいいんじゃないかと思います。

自分も未だに人に迷惑をかけてますけど、それでも、
「でもだって」と言って諦めるんじゃなく、
「だったら」と言って次の一歩を進んだらいいと思います。

とは言うものの、「そうは言っても…」ってこともあると思うのですが、
少なくとも僕は、一回鬱になって、それで何とか戻ってきました。


だから、そうなる前に悩んでる人、いたらご連絡くださいませ!
解決になるかは分からないですけど、何か腹の足しにはなるかと思います!