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2012年の私の音楽は

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クラシック、しかもピアニストだけを8枚買い!!



ピアノは”悪魔のオルガン”です。

なぜこんなに心揺さぶられ、聞く度に、新たな偶然と共に、私を驚嘆させてくれる。
毎日ピアノを弾いていても、同日に同じ曲を5回目、10回目と弾いても曲線が異なる。音楽の性格ではなく曲線に...。

そうゆう意味で私の中のクラシックブームが3年振りにきています。
3年前は時系列的に、基礎固めとして巨匠の音楽を勉強しました。


クラシックは古典です。
過去の音楽を継承・踏襲するという、いわば日本画とジャンル的には似ているのか。

18世紀のフランス革命が世の音楽の在り方というものを変えてしまいました。
絶対王政が壊れ、市民権が登場する。

つまり音楽的に云うと、
フランス革命を期に、音楽が人々にとって分かり易いものに作り替えられてしまったということです。

かつて王政の時代は、芸術は貴族以上の身分のものでした(触れる機会が多いという意味で)
芸術家達は、魔法使いのように崇められ、或る王は政治の助言を求めるほどです。

それほど、芸術というものは「言葉や論理を除外し、人間の深い情感を表現しうる」ものだったのです。

しかし、前述のフランス革命後、しばし芸術は”感情的なものへの簡略化”として発生し、多様化/複雑化していきました。


昨今では私達は世界中のあらゆる音楽を耳にすることが出来ます。
この意味での「市民権」の勃興は素晴らしいことだと思います。

しかし、芸術にとっては、幼稚化・簡略化の部分が否めず、白人主義的な「自分で生み出せないものは破壊する」観念が蔓延しきっており、各分野深刻な問題となっている。


さて、クラシックに話を戻すと、200年前の音楽を真摯に享受する為には??
それは技能万能型教育・思想よりも、「音楽を言語として聞く事、学ぶ事」であろう。

ここをスルーして異なる時代の音楽を聞く事は危険である。
とりわけクラシックという音楽は。

これを踏まえて、現代に生きる というよりもむしろ「個」で感じ、リスナーにとっても新しい感性を曲に与えていき、進化を押し進めること。

これが過去の音楽に対する敬意であると私は思う。


だってもううんざりでしょ?
みんなで頑張ろう とか、
誰かと恋に落ちた。好き好き~。や、
失恋した、がっくしや、
君はオンリーワンだ

みたいな音楽は。

オンリーワンでいいのは、ナンバーワン若しくは自分の夢の為に紆余曲折、血眼になって努力してきた人間達の世界観であるだろう。個性の尊重を履き違えるな。


浅はかで、稚拙な音楽。

そうじゃないんだ、本当の音楽は。



きっと、太古の時代も、
祈りの儀式の時も、神からの啓示の時も、”音”によって感じ取っていたんだと思います。
音楽は人間にとってなくてはならないもの だ信望しています。




今回、Alexandre Tharaud(アレキサンドル・タロー)という若きピアニストのバッハの作品を買いました。
まあ変人です。重厚にクラシックを学び、構造倫理や見せ方をよく勉強していて、クラシックに新しい解釈を与えてくれます。

なぜバッハ作品にしたのかというと、
バッハの音楽というものは倫理性や構造美が、まるで厳しい戒律のように複雑に構成されているからです。そのようながっちりした曲を、この変人がどう料理するのか。

元来、教会音楽の「アラベスク」を音楽の基底とし、バッハはこの聖なる音楽を確固としたものにしました。
繊弱な分、感情が移ろい易く、しかしながらその分、流線的なアラベスク。

そこを垣間みました。

屈強な構造だったバッハのアラベスクを、こんなにも偶然の空白(余地)を知らしめてもらえました。

素晴らしいピアニストです。




私は、最も大好きなピアニストであるグレン・グールドのバッハで育ちましたので。
彼もまた繊細で美しく、そして居心地の悪い観を執拗に持ち合わせた名ピアニストです。
怠惰で、愚かで、壮大で、それでいて健美な音。

この教会音楽の過大なスケールは、グールドにとっては”自由”で在れた、グールドでいれた場所なのかもしれません。









続きまして、
Wilhelm Backhaus(ヴィルヘルム・バックハウス)と、
Wilhelm Kempff(ヴィルヘルム・ケンプ)。
バックハウスの方は云わずと知れた「獅子王」の異名を持つ天才ピアニストです。
すごく”跳ね”るベートベンを弾くんですね。勿論、超絶な技巧あってのものですけどね。

ベートベンっていかつい、堅いイメージがありますが、バックハウスのベートベンはまた煽動性が一味違います。音色のせいだと思いますが。

一方、ケンプの方はあまり有名ではなく、作曲家さんです。ちなみにバックハウスは演奏家であります。作曲家の演奏は、演奏の為に演っているわけではないので軽視されがちですが、また曲を違う視点で見ています。

私は作曲家域なので、感じるんです。

双方とも自分の全てでもって演奏してるのは間違いないんですが、やはり視点と立ち位置が異なります。


ベートベンは楽曲やシンフォニーの持つ「通常の限界」を破っている。
これは人間力に他ならない。

神はベートベンを使って、贅ぶる者にも、貧しい者にも、卑しい者にも、”兄弟”として、類い稀なる音楽を与えた。ベートベン自身、その神の鉄線で縛り付けられるような悪戯に、過激さと静寂を身につけたろう。
自らの溢れんばかりの人間性と、運命の皮肉な交雑に深く哀しんだことだろう。

それでも、音楽しかなかった。

自ら分かっていたと思う...、運命のどんな衝撃に対しても、魂が荒ぶっていまう性格を。


ベートベンの曲は、木である。
必ず、半ば強引にでも押し立てて(推進し)、芽をつけ、満開に咲く。
悪魔の花が...。










続きまして、
私の一番好きなジャズピアニスト、ビル・エヴァンス。

ジャズピアニストでは、
Bud Powell、奇才Herbie Hancock、信仰心の強いThelonious Monk、ウェザーリポートのチック・コリアと好きなピアニストはたくさんいますが、やっぱり一番はエヴェンスです。
云わずと知れたマイルスに認められた唯一(くらいの)の白人ピアニスト。

薄く、清らかなカーテンのようなピアノ。心地いい。

この人は割と、サティやラヴェルに似ているような...。
技術的な部分では比較的簡単ですが、世界観ですね。






続きまして、
Valery Afanassiev(ワレリー・アファナシエフ)のBrahmsを買いました。
非常にゆっくりとした演奏がカラーであり、「眠気を誘うピアニスト」などと呼ばれていますが、とんでもない。
ピッチが遅いということは、=空白の使い方が多い、
つまり、演奏自体とその弾いていない部分にまで繊細に且つ剛直でなければいけません。

そうゆう意味で、鬼です。

もうひとつアファナシエフから感じるものは「哀愁」です。
私の人生のテーマでもあります。

消えたものの再生....なのかもしれません。






クラシックは千変万化し、今も尚生動している。

私は、「楽想」というものに取り憑かれ始めた。
今制作しているトラックは過去最高のものになるだろう。

「哀愁」と翻弄。
まさに子供の頃から引き続けているベートベンではないか。

人は”哀しみ”なくして生きられない。
常に歓びと背中合わせなものだ。

では”幸福”とはなんなのか。
歓びと哀しみ、美と醜さ、その対局性の”まぶされた”所に、人生の機微があり、そして人を人たらしめる。



どうかみなさんにも感じて欲しい。
音楽にはびこる「必然と偶然」を。

いつでも貴方に、新しい歓びを与えてくれるであろう。