SUN and FUN blog -216ページ目

スケッチ少女

早朝の小田急線。

いつも通りシルバーシートに座って本を読みます。(頭にちょっとばかし障害を持っていますのでシルバーシートに座るべきだと思ってます。笑)

菊地成孔の「スペインの宇宙食」を読みながら、ウォークマンではエディ・パルミエリを。
僅か2年しかなかったサルサのムーヴメントの中で、もう本当に「哀愁そのものなんじゃないか」と思うくらい、世界の苦悩と呪詛を、快楽と陶酔をグルーヴ化し、掻き混ぜ、掻き鳴らしたようなこのピアノ。
ダークサイド出身の僕にとっては、極地が生み出すもがく者だけに与えられる「点対称なる逆境地」に叛逆の反動力と、純潔な魂を感じずにはいられません。

エディがウッドストックに出演した時の映像が、ユーチューにアップされてますが、もうエディがピアノなのか、ピアノがエディなのかわかりません。
エディは汗を出しています。
それは汗ではなく、森羅万象の粒。
ピアノを弾くという行為は生きることと等しい。




まぁ、話は飛びましたがそんな朝の電車で隣に座った女子高生について。

電車がのっそりと駆け出せばすぐに、カバンからスケッチブックを取り出し車内の人物を描き始めました。

人目 is ホリケーン です。

いいなぁー、好きだぞ こーゆうの。

もうまったく岡本太郎状態。

そうそう、関係ないよ周りなんて。
やりたいことを、やりたい時に、やり散らかせばいい。
表現はヴィジョンの構築計画よりも、その沸騰の瞬間に価値がsり、そこに本質があると思います。

ですから、その言葉や形なき沸騰を維持している間に、表現や構築するべきです。
マリオのスター状態の時に、土管から出てくるフラワー野郎を恐れず先へ進めということです。


しかし、時間の残酷性は「人間の感覚と卑しく絡み合う性質」よりも、経過と変化の不変性だと思います。

つまり、ある位相で感じたものは変化によって、変化また置換されてしまう。

何もしなくたって、陽の位置が変れば、心も煽動するものですから。

だから、その瞬間のプレイは素晴らしい。




描き殴る。
描き殴る。

絵の方はというと、非常に輪郭の描き方がいいなと思いました。その人への印象によって、滲み方が変化してて面白かった。

無気力なオッサンは細いタッチ、新聞を読んでスケジュール帳に記録するような女性は躍動感あるグルーヴに。


その子は、髪は後ろで縛っただけで、今時のサラサラヘアー(おっさん臭いな)とは程遠いべったりヘアー。
多分、ラード。

化粧もまるでナッスィング。

顔はまるで、ねじめ正一でした。

大正 なんです。

凄まじいエナジーと、デモクラシーな眼光にもう本など読んでる場合ではなく、スケッチブックをトントン。
「描いてー」

すると、「もう、降りるんです」と、無感覚な表情で言われました。
まるで、朝家を出る時に「対人感覚」を履き忘れて出てきちゃった的な声。

もしかしたら、女子高生じゃなく50歳くらいなんじゃないかという渋顔。
目にはまるで私は写ってませんでした。

残念だったが、これでいい。
彼女の手にかかったら、私はきっとぶっ壊れた深海魚にでもされていただろうから。

目と目が離れてて、額にコブ的なのがあるカッコイイ感じのがいいな。


久々に根源的なアーティストに出会えてハッピーな朝でした。