空にん
最近強く感じるのは、「人間の諸行における大抵の問題は、空を見上げれば解決する」ってこと。
空はそのニュートラルかつファンタジックな存在ゆえ、人間が都合よく定義出来ますから(笑)
しかしながら、最も摂理を摂理のまま映し出す存在であることは確かだと思います。
私は雲のない空の雲になりたい。
夜空に輝く星々を、自由気ままに線で繋げてかたちづけるのも愉しいですよ。
いかに自分が空全体を見てきたつもりで、ほんの僅かしか見えてなかったことに驚くくらい。
その羞恥もいずれ甘いノスタルジーになる。
世界中の家から、屋根なんかなくなっちゃえばいいのにね。
現代社会生活においての常識的な(私はこの言葉が好きではない。「常識とは我々が未成年までに学校で習った嘘である」アインシュタイン)人間関係とは、本来異質に捉えられるべき固有の人間性を大いに隠蔽しているのではないでしょうか。
社会構造の中で、個的情念に趣くまま、それも負の感情に起因する発信をすれば、本質などそっちのけで、即不愉快と断定されることがある。
でも、ネガティブな感情も綺麗なんだよ。
今、空への観念が変わった今、対人の欺瞞的な発表(見栄の一部)や、オモチャのような行動理念、大袈裟な誇大妄想など、ひどく個的な人間性も好きだと感じたりする。
渋い薫りのワインほど、えらく苦いズッキーニほど、味があるように。
醜いほどに個的で、それでいて尚清潔な感情。
美し過ぎる。
あぁ、なんと人間は愚かなのか。
泣いたり、笑ったり、喚いたり、妬んだり、怒ったり、悦んだり、苦しんだり。
こんなことするのは人間だけですから。
幼児性と攻撃性の内在を、音楽はその無限大の神秘でもって、炸裂の瞬間と啓蒙を与えてくれる。
音楽がなかったらとっくに発狂して、浦安鉄筋家族ばりのドンぎまり状態で、犯罪者か廃人コースまっしぐらだっただろう。笑
空を弾く。
思うがままに弾く。
今日がどんな日であったとしても、空を見上げて綺麗だったらそれでいい。
汚くてもそれでいい。
それでいいんだ。
空はそのニュートラルかつファンタジックな存在ゆえ、人間が都合よく定義出来ますから(笑)
しかしながら、最も摂理を摂理のまま映し出す存在であることは確かだと思います。
私は雲のない空の雲になりたい。
夜空に輝く星々を、自由気ままに線で繋げてかたちづけるのも愉しいですよ。
いかに自分が空全体を見てきたつもりで、ほんの僅かしか見えてなかったことに驚くくらい。
その羞恥もいずれ甘いノスタルジーになる。
世界中の家から、屋根なんかなくなっちゃえばいいのにね。
現代社会生活においての常識的な(私はこの言葉が好きではない。「常識とは我々が未成年までに学校で習った嘘である」アインシュタイン)人間関係とは、本来異質に捉えられるべき固有の人間性を大いに隠蔽しているのではないでしょうか。
社会構造の中で、個的情念に趣くまま、それも負の感情に起因する発信をすれば、本質などそっちのけで、即不愉快と断定されることがある。
でも、ネガティブな感情も綺麗なんだよ。
今、空への観念が変わった今、対人の欺瞞的な発表(見栄の一部)や、オモチャのような行動理念、大袈裟な誇大妄想など、ひどく個的な人間性も好きだと感じたりする。
渋い薫りのワインほど、えらく苦いズッキーニほど、味があるように。
醜いほどに個的で、それでいて尚清潔な感情。
美し過ぎる。
あぁ、なんと人間は愚かなのか。
泣いたり、笑ったり、喚いたり、妬んだり、怒ったり、悦んだり、苦しんだり。
こんなことするのは人間だけですから。
幼児性と攻撃性の内在を、音楽はその無限大の神秘でもって、炸裂の瞬間と啓蒙を与えてくれる。
音楽がなかったらとっくに発狂して、浦安鉄筋家族ばりのドンぎまり状態で、犯罪者か廃人コースまっしぐらだっただろう。笑
空を弾く。
思うがままに弾く。
今日がどんな日であったとしても、空を見上げて綺麗だったらそれでいい。
汚くてもそれでいい。
それでいいんだ。