JAZZ男のAKB
期待のアイドルがSTUDIO hijikiからデビューします。
HSB48 です。
デビュー曲は「あ痛たった」。

もっかトラック制作中です。また3百円で売ります。笑
そして衝撃PVも予定!!
パフォーマンス:HSB 48
監督・振り付け:ノガモト ヤスシ
キャメラマン・技術編集:まきちゃん
メイク・夜食:AKK 23
その内、You Tuにアップします。
骨折から早2ヶ月弱ですが、まだ立てません。
しかし、ギブスがとれました。
あの呪いのような忌わしきギブスが

先生にも、可愛い受付けにも無視された。
「あいつら絶対付き合ってやがる」
と、これまた あ痛たったな長谷部氏。
ヘビー LOW テンションです。
暇だから自分で刈って、リクームみたいにした長谷部氏。往年のリクームキックが今にも出そう。

年内に歩くことは絶望的だそうです!!笑
さぁ、前回まででようやくバークリーメソッドと相思相愛してモダンジャズが見事に大成した59年辺りまでが終わりました。
このBlogをもとに「TSUTAYAでジャズを借りた」なんて話を聞きますと、本当にやった甲斐があったなーと嬉し恥ずかし、恐れ多くも歴史とその証明である音源を超個的且つ、かなり病的な快釈(笑)で言い放ったことを誇りに思うのです。笑
そんなに言ってくれるなら、もっと分かりやすく書けば良かった と思いつつも、この流れ重視の目も眩むようなスピード感と猥雑な感じに満足してます。
本来、歴史というものは、大谷能生氏の言葉を借りるならば、精神的に被分析性が高いと。
バランスという点では歴史自体、
「不全感の一貫」とでも言うのでしょうか、あまりに形を持たないということ。つまり歴史そのものを「人」が編纂していったという事実が、そのありあまる綻びと嘘でもって整形されている ということを分かっていながらも、人は歴史に惹かれる。
自分の誕生の起源と、その確かな記憶がないこと。そして日常というものの予測不可能性が、我々が歴史という偽史の誘惑に駆られる根源的根拠ではないだろうか。
歴史はルーツを知る旅。
私自身、ジャズの始原から始めたこの旅は、スリルと勃起の連続でした。
さほど呪術のような強迫的と抑揚と恍惚感を歴史は内包していて、それはまた毒性が強く、インフルエンスします。
人から人へ、どうしても個的情念が加算され伝えられていく命運を背負った歴史。
思いっきり野蛮で稚拙な私のジャズ論旨が、より狂って人へと伝えられていくことを強く望むと共に、それを思うと脳にペニスが生えてはシュビドゥバしてしまうのである。
さぁ、それでは今夜もアシッドなJAZZタイムを楽しみましょう。
バークリーメソッドと共に安定化しスタンダードへと拡張した50年代のモダンジャズ。
資本主義国家としての骨格が整備され、文化の側面としての科学技術、すなわちテレビの波及によって、音楽の在り方も大きく変わりました。
ジャズは大衆音楽としての確たる領域をしっかりと確立していました。
しかし安定というものは長くは続きません。
創造と破壊は人間の純衝動であり、人類史に蔓延する必然的原理です。
「大成したモダンジャズをぶっ壊す!!」
若き日のジブラの様です。笑
恐ろしいですね。笑
いつの時代も新たな道を探求するフロンティアがいるんです。
それが、ジョン・コルトレーン、マイルス、アルバート・アイラー、エリック・ドルフィー、オーネット・コールマン等です。
今名前を並べただけでも吐きそうです。笑
変態オールスターズです。笑
<コルトレーンのNewジャズ開発>
まずは既存のバークリーメソッドを、より緻密に、普通では思いつかないようなアプローチで再考し、実践したのが、コルトレーンです。
まるでリンゴの果肉だけじゃ満足いかず、芯の髄までしゃぶり尽くすような解体と解析。
正直、50年代中期までのコルトレーンはパッとしません。セッションにもあまり呼ばれず、音自体もどこを目指してるんだろう という半端なトーン。
まぁ、ある意味それはそれでコルトレーンの場合はヤバいんですが。
みんながみんな、出てきた瞬間に優れてる訳じゃない。
何もかもが出尽くしてしまって、その循環の2、3周目には入ろうかという現代の音楽シーンにおいてでは、技術や見栄え云々よりも、もうはっきり言って個性ですね。
所謂、どんな音楽だろうと”Trust マイ センス”です。
やるべきことが明確で、それに迷いがないこと。それだけです。
クロマニ巧君と話していて、
「いやー巧ちゃんみたいに艶とコシのあるのに、ストレートで芳醇なピアノ弾きたいっすよ」
とか言うと必ず、
「おまえはおまえのセンスを信じろ」と言ってくれます。
自分が本当に死ぬほど何がしたいか。
それに淀みなく突き進んでいること。
この果てに自分のスタイルがより昇華されてゆく。
まぁ、これは音楽だけではないんですけどね。
僕は、この2年は崖っぷちにあえて登り、そこから転げ落ちることを繰り返してきました。
もう全くの盲目でしたね。笑
そうして、マルキド・サドさながら自分を痛めつけては射精して、ようやく無駄な肉が削がれ、自分のシンプルな姿が魚肉ソーセージの如くプルんっと出てきました。
そうやって、贅肉を削ぎ、根幹をより太く清らかにしていく。これは一生そうやって突き詰めていくものでしょう。
どんなに苦しい時もとにかくやる。
そうすることで、芽は出なくとも根は育つ。
目に見える成果なんて滅多には出逢えない。日々、着々と根を広げ太くしていく。
いつかでかい花が咲くことでしょう。
コルトレーンほどの人間も、やはり人間でありで、倒錯し混迷していた時期なのかもしれません。
それが1957年のある日、神が降りてきたと言い始めます。笑
そして1960年 Giant Stepsの誕生です。
この曲はジャズ史に残る名曲ですが、ジャズジャイアンツであるコルトレーンの偉大なる足跡 と捉えるレコメもありますが、私は違うと思います。
これはコルトレーンのコードのケーデンスの啓発でした。
ジャズではバークリーメソッドのコードの展開を指し示す4度圏というものがあり、これは時計回りに音階を4度ずつ並べ、最後は時計でいう12の所に還ってきます。
まぁ、ジャズを生演奏するなら絶対知ってなきゃならない暗記項目で、この圏を時計回り演奏すれば緊張→緩和→緊張などの古典クラッシック時代から続くコード展開の早見表的なものです。
それまでのコード展開は、例えばパーカーのコンフォメーションという曲でを例に出すと、
始めがFで、一度正反対にとんでE、 あとは時計回りに一つずつA、D、....と時計回りに一つずつ回って行きます。パーカーを始め、50年代ジャズは、このようなコード展開が主流でした。
しかし、コルトレーンはこの4度圏を見ながら、「一つずつじゃなくて、四つずつ回してみよう!」なんて変態なこと思いついちゃったんでしょうね。笑
これは、
時計の読み方を、
1時の次は4時(本当は2時なのに)、その次が8時(本当は3時なのに)、って読もう!って言ってるようなもんです。
変態ですね。笑
一つずつを四つずつにしたから、ジャイアントステップスなんですね。
当時としては本当にオルタナティブでアナーキーな発想で、一躍コルトレーンの名前を広めました。
元々ガレスピー楽団にいて、点々として1955年にマイルスに呼ばれ名前は広まったものの、その後パッとせず。
このジャイアントステップスは、今聞いても凄く建築的で、やっぱ他にはない「精密な激情」を感じます。
コルトレーンは元々バップの優等生であり、バークリーメソッドそのものの可能性を執拗なほど考察・展開します。
そうした探求心は実際の演奏の中でも多分に感じることが出来、凄まじいコードパターンを創造しては、その中でのアドリブに果敢に挑戦していく。
何しろぶっ飛んでる、この頃のコードパターンは!
Giant Stepsでは、デトロイトの名ピアニストと呼ばれたトミー・フラナガンが演奏しているのですが、途中でほわぁんとなってしまい、左手のコードだけ弾いています。
これは音楽における「曲に対する間のグルーヴ」や、「セクシャルの演算的提示」ではなく、ただ単にこの凄まじいコード展開についていけないだけなんです。
右手のアドリブが完全に泡散してしまってます。
トミフラって言えば名ピアニストですよ!
それまでのモダンジャズとは聞いた感じは同じ印象なのですが、こんなにも凄まじいことをしていると。
それだけコルトレーンの構築性、研究心が凄いということですね。
この頃のマイルスの言葉に、
「トレーンは55コーラス、キャノンボール(アダレイ)は46コーラス、おれは2コーラス」というものがある位、この頃のコルトレーンはより複雑にして走りまくってたわけですね。笑
納豆食べるのに、まず皿じゃ普通だから一度笹の上に出して、醤油じゃ物足りないから、アゴ似てダシとってさらにそれを2日寝かしたものを入れて、箸で掻き混ぜるのは普通だから、ジュースミキサーで混ぜよう 的な。笑
でも辛子は普通に入れとこうみたいなとこもあって。
こうやって作っても、結局は普通に作る納豆と見た目は変わりませんよね。ただ味がやっぱハイテックなんですね。
聞いた感じ今までのモダンジャズ風味なんですが、実はこんなぶっ飛んだ学理してるという。
あくまでバークリーメソッドを革新するってことです。
手間と奇抜性に長けた音楽的アプローチだったんですね。
キャノンボールなんかもコルトレーンと同じようなアプローチをしていたのですが、彼の曲はすごく個的なんです。めちゃくちゃパワフルで、エキサイティングで、スリリングでかっこいいんですけど、やっぱ彼にしか出来ない曲という感じでしょうか。
しかし、コルトレーンはバップの優等生ですから、すごく後進に対してもお手本になるような演奏なんです。
この60年代フリージャズの旗手である、アイラー、ドルフィーやらは、納豆を鼻に入れて、それを中で潰しちゃって、うわ~い、えへへん 的な。笑
でもその納豆が極上に旨いという。笑
こうして演奏を複雑化・高速化したコルトレーンもだんだんと、「一つの和声」の深みを追究するようになっていきます。次回ご紹介するマイルスの新たなジャズのアプローチ「モード奏法」にコルトレーンも行き着きます。
impressions
ひじょうにエモーショナルでホットな演奏ですが、マイルスのimpressionsと違います。マイルスの場合は非常に清閑の中の煌めきを重視したような。
ここにもコルトレーンの清潔さが伺えるような曲です。
さてさんざんバークリーを掻き回したコルトレーンはこの後、神に近づき、宇宙へ向かいます。笑
ビートルズのジョージ・ハリスンも師事したという、インドの大ミュージシャン、シタール奏者のラヴィ・シャンカールの元でおしえを受けたことも影響したことはまず間違いないでしょう。
ラヴィ・シャンカールと言えば、最近僕と長谷部氏がカヴァーしてますね。
神に諭すように、祈るような戦慄に、空気に散在する「あたりまえ」の粒を立て、同化を試み、自然はより自然となる。
あ~、危ない。笑
カヴァーしてますね。って知らねーよってことですよ!笑
Acknowledgement
アルバムのインナーに「神よ...おお神よ、感謝します...」みたいなことが書かれています。笑
構成も、
1.至上の愛
第一部・承認
第二部・決意
第三部・追究
第四部・賛美
となっております。笑
まずいですね~。笑
悲しみ、怒り という決して目をつぶってはいけない共振性の強い感情、激卬を、つまりは人間本来あるべき感情を、ある崇高な美しき高みへと昇華させるような試みというか。
精神性と観念の在り方をもうひとつ先へ進めたような。
Ascension
この頃のコルトレーンは突然若い演奏者達を集まて好き勝手演奏させてレコーディングしたり、まぁはたから見たらもう完全にいっちゃってますね。笑
神よ... と呟いていたのに、この曲ではもうプギョ~とかサックスがいっちゃってるんですね。
でもコルトレーンは研究し続けているのです。
音楽家というよりも科学者肌なんでしょうね。
数学的な帰納法や、基礎化学を踏襲した化成論というか。
次回もフリージャズ期の変態ジャズメンを紹介します。
さいならー。
HSB48 です。
デビュー曲は「あ痛たった」。

もっかトラック制作中です。また3百円で売ります。笑
そして衝撃PVも予定!!
パフォーマンス:HSB 48
監督・振り付け:ノガモト ヤスシ
キャメラマン・技術編集:まきちゃん
メイク・夜食:AKK 23
その内、You Tuにアップします。
骨折から早2ヶ月弱ですが、まだ立てません。
しかし、ギブスがとれました。
あの呪いのような忌わしきギブスが

先生にも、可愛い受付けにも無視された。
「あいつら絶対付き合ってやがる」
と、これまた あ痛たったな長谷部氏。
ヘビー LOW テンションです。
暇だから自分で刈って、リクームみたいにした長谷部氏。往年のリクームキックが今にも出そう。

年内に歩くことは絶望的だそうです!!笑
さぁ、前回まででようやくバークリーメソッドと相思相愛してモダンジャズが見事に大成した59年辺りまでが終わりました。
このBlogをもとに「TSUTAYAでジャズを借りた」なんて話を聞きますと、本当にやった甲斐があったなーと嬉し恥ずかし、恐れ多くも歴史とその証明である音源を超個的且つ、かなり病的な快釈(笑)で言い放ったことを誇りに思うのです。笑
そんなに言ってくれるなら、もっと分かりやすく書けば良かった と思いつつも、この流れ重視の目も眩むようなスピード感と猥雑な感じに満足してます。
本来、歴史というものは、大谷能生氏の言葉を借りるならば、精神的に被分析性が高いと。
バランスという点では歴史自体、
「不全感の一貫」とでも言うのでしょうか、あまりに形を持たないということ。つまり歴史そのものを「人」が編纂していったという事実が、そのありあまる綻びと嘘でもって整形されている ということを分かっていながらも、人は歴史に惹かれる。
自分の誕生の起源と、その確かな記憶がないこと。そして日常というものの予測不可能性が、我々が歴史という偽史の誘惑に駆られる根源的根拠ではないだろうか。
歴史はルーツを知る旅。
私自身、ジャズの始原から始めたこの旅は、スリルと勃起の連続でした。
さほど呪術のような強迫的と抑揚と恍惚感を歴史は内包していて、それはまた毒性が強く、インフルエンスします。
人から人へ、どうしても個的情念が加算され伝えられていく命運を背負った歴史。
思いっきり野蛮で稚拙な私のジャズ論旨が、より狂って人へと伝えられていくことを強く望むと共に、それを思うと脳にペニスが生えてはシュビドゥバしてしまうのである。
さぁ、それでは今夜もアシッドなJAZZタイムを楽しみましょう。
バークリーメソッドと共に安定化しスタンダードへと拡張した50年代のモダンジャズ。
資本主義国家としての骨格が整備され、文化の側面としての科学技術、すなわちテレビの波及によって、音楽の在り方も大きく変わりました。
ジャズは大衆音楽としての確たる領域をしっかりと確立していました。
しかし安定というものは長くは続きません。
創造と破壊は人間の純衝動であり、人類史に蔓延する必然的原理です。
「大成したモダンジャズをぶっ壊す!!」
若き日のジブラの様です。笑
恐ろしいですね。笑
いつの時代も新たな道を探求するフロンティアがいるんです。
それが、ジョン・コルトレーン、マイルス、アルバート・アイラー、エリック・ドルフィー、オーネット・コールマン等です。
今名前を並べただけでも吐きそうです。笑
変態オールスターズです。笑
<コルトレーンのNewジャズ開発>
まずは既存のバークリーメソッドを、より緻密に、普通では思いつかないようなアプローチで再考し、実践したのが、コルトレーンです。
まるでリンゴの果肉だけじゃ満足いかず、芯の髄までしゃぶり尽くすような解体と解析。
正直、50年代中期までのコルトレーンはパッとしません。セッションにもあまり呼ばれず、音自体もどこを目指してるんだろう という半端なトーン。
まぁ、ある意味それはそれでコルトレーンの場合はヤバいんですが。
みんながみんな、出てきた瞬間に優れてる訳じゃない。
何もかもが出尽くしてしまって、その循環の2、3周目には入ろうかという現代の音楽シーンにおいてでは、技術や見栄え云々よりも、もうはっきり言って個性ですね。
所謂、どんな音楽だろうと”Trust マイ センス”です。
やるべきことが明確で、それに迷いがないこと。それだけです。
クロマニ巧君と話していて、
「いやー巧ちゃんみたいに艶とコシのあるのに、ストレートで芳醇なピアノ弾きたいっすよ」
とか言うと必ず、
「おまえはおまえのセンスを信じろ」と言ってくれます。
自分が本当に死ぬほど何がしたいか。
それに淀みなく突き進んでいること。
この果てに自分のスタイルがより昇華されてゆく。
まぁ、これは音楽だけではないんですけどね。
僕は、この2年は崖っぷちにあえて登り、そこから転げ落ちることを繰り返してきました。
もう全くの盲目でしたね。笑
そうして、マルキド・サドさながら自分を痛めつけては射精して、ようやく無駄な肉が削がれ、自分のシンプルな姿が魚肉ソーセージの如くプルんっと出てきました。
そうやって、贅肉を削ぎ、根幹をより太く清らかにしていく。これは一生そうやって突き詰めていくものでしょう。
どんなに苦しい時もとにかくやる。
そうすることで、芽は出なくとも根は育つ。
目に見える成果なんて滅多には出逢えない。日々、着々と根を広げ太くしていく。
いつかでかい花が咲くことでしょう。
コルトレーンほどの人間も、やはり人間でありで、倒錯し混迷していた時期なのかもしれません。
それが1957年のある日、神が降りてきたと言い始めます。笑
そして1960年 Giant Stepsの誕生です。
この曲はジャズ史に残る名曲ですが、ジャズジャイアンツであるコルトレーンの偉大なる足跡 と捉えるレコメもありますが、私は違うと思います。
これはコルトレーンのコードのケーデンスの啓発でした。
ジャズではバークリーメソッドのコードの展開を指し示す4度圏というものがあり、これは時計回りに音階を4度ずつ並べ、最後は時計でいう12の所に還ってきます。
まぁ、ジャズを生演奏するなら絶対知ってなきゃならない暗記項目で、この圏を時計回り演奏すれば緊張→緩和→緊張などの古典クラッシック時代から続くコード展開の早見表的なものです。
それまでのコード展開は、例えばパーカーのコンフォメーションという曲でを例に出すと、
始めがFで、一度正反対にとんでE、 あとは時計回りに一つずつA、D、....と時計回りに一つずつ回って行きます。パーカーを始め、50年代ジャズは、このようなコード展開が主流でした。
しかし、コルトレーンはこの4度圏を見ながら、「一つずつじゃなくて、四つずつ回してみよう!」なんて変態なこと思いついちゃったんでしょうね。笑
これは、
時計の読み方を、
1時の次は4時(本当は2時なのに)、その次が8時(本当は3時なのに)、って読もう!って言ってるようなもんです。
変態ですね。笑
一つずつを四つずつにしたから、ジャイアントステップスなんですね。
当時としては本当にオルタナティブでアナーキーな発想で、一躍コルトレーンの名前を広めました。
元々ガレスピー楽団にいて、点々として1955年にマイルスに呼ばれ名前は広まったものの、その後パッとせず。
このジャイアントステップスは、今聞いても凄く建築的で、やっぱ他にはない「精密な激情」を感じます。
コルトレーンは元々バップの優等生であり、バークリーメソッドそのものの可能性を執拗なほど考察・展開します。
そうした探求心は実際の演奏の中でも多分に感じることが出来、凄まじいコードパターンを創造しては、その中でのアドリブに果敢に挑戦していく。
何しろぶっ飛んでる、この頃のコードパターンは!
Giant Stepsでは、デトロイトの名ピアニストと呼ばれたトミー・フラナガンが演奏しているのですが、途中でほわぁんとなってしまい、左手のコードだけ弾いています。
これは音楽における「曲に対する間のグルーヴ」や、「セクシャルの演算的提示」ではなく、ただ単にこの凄まじいコード展開についていけないだけなんです。
右手のアドリブが完全に泡散してしまってます。
トミフラって言えば名ピアニストですよ!
それまでのモダンジャズとは聞いた感じは同じ印象なのですが、こんなにも凄まじいことをしていると。
それだけコルトレーンの構築性、研究心が凄いということですね。
この頃のマイルスの言葉に、
「トレーンは55コーラス、キャノンボール(アダレイ)は46コーラス、おれは2コーラス」というものがある位、この頃のコルトレーンはより複雑にして走りまくってたわけですね。笑
納豆食べるのに、まず皿じゃ普通だから一度笹の上に出して、醤油じゃ物足りないから、アゴ似てダシとってさらにそれを2日寝かしたものを入れて、箸で掻き混ぜるのは普通だから、ジュースミキサーで混ぜよう 的な。笑
でも辛子は普通に入れとこうみたいなとこもあって。
こうやって作っても、結局は普通に作る納豆と見た目は変わりませんよね。ただ味がやっぱハイテックなんですね。
聞いた感じ今までのモダンジャズ風味なんですが、実はこんなぶっ飛んだ学理してるという。
あくまでバークリーメソッドを革新するってことです。
手間と奇抜性に長けた音楽的アプローチだったんですね。
キャノンボールなんかもコルトレーンと同じようなアプローチをしていたのですが、彼の曲はすごく個的なんです。めちゃくちゃパワフルで、エキサイティングで、スリリングでかっこいいんですけど、やっぱ彼にしか出来ない曲という感じでしょうか。
しかし、コルトレーンはバップの優等生ですから、すごく後進に対してもお手本になるような演奏なんです。
この60年代フリージャズの旗手である、アイラー、ドルフィーやらは、納豆を鼻に入れて、それを中で潰しちゃって、うわ~い、えへへん 的な。笑
でもその納豆が極上に旨いという。笑
こうして演奏を複雑化・高速化したコルトレーンもだんだんと、「一つの和声」の深みを追究するようになっていきます。次回ご紹介するマイルスの新たなジャズのアプローチ「モード奏法」にコルトレーンも行き着きます。
impressions
ひじょうにエモーショナルでホットな演奏ですが、マイルスのimpressionsと違います。マイルスの場合は非常に清閑の中の煌めきを重視したような。
ここにもコルトレーンの清潔さが伺えるような曲です。
さてさんざんバークリーを掻き回したコルトレーンはこの後、神に近づき、宇宙へ向かいます。笑
ビートルズのジョージ・ハリスンも師事したという、インドの大ミュージシャン、シタール奏者のラヴィ・シャンカールの元でおしえを受けたことも影響したことはまず間違いないでしょう。
ラヴィ・シャンカールと言えば、最近僕と長谷部氏がカヴァーしてますね。
神に諭すように、祈るような戦慄に、空気に散在する「あたりまえ」の粒を立て、同化を試み、自然はより自然となる。
あ~、危ない。笑
カヴァーしてますね。って知らねーよってことですよ!笑
Acknowledgement
アルバムのインナーに「神よ...おお神よ、感謝します...」みたいなことが書かれています。笑
構成も、
1.至上の愛
第一部・承認
第二部・決意
第三部・追究
第四部・賛美
となっております。笑
まずいですね~。笑
悲しみ、怒り という決して目をつぶってはいけない共振性の強い感情、激卬を、つまりは人間本来あるべき感情を、ある崇高な美しき高みへと昇華させるような試みというか。
精神性と観念の在り方をもうひとつ先へ進めたような。
Ascension
この頃のコルトレーンは突然若い演奏者達を集まて好き勝手演奏させてレコーディングしたり、まぁはたから見たらもう完全にいっちゃってますね。笑
神よ... と呟いていたのに、この曲ではもうプギョ~とかサックスがいっちゃってるんですね。
でもコルトレーンは研究し続けているのです。
音楽家というよりも科学者肌なんでしょうね。
数学的な帰納法や、基礎化学を踏襲した化成論というか。
次回もフリージャズ期の変態ジャズメンを紹介します。
さいならー。