原始力 〜学び、そして政事(まつりごと)〜
今だ予断を許さぬ状況の福島原発ですが、最悪のメルトダウンが起きてしまう可能性は20分の1くらいではないかという有効な見解も見受けられます。
私も突発的な異変がない限りそう思います。
勿論、原発というのは現代の科学、人智をとうに越えた代物であり、何が起こるかそれを完全に予測することは出来ません。最悪の事態になれば、200~300km圏が避難することになるでしょう。東京は250km圏ですから、二度と戻れない場所になりかねません。
こればかりは祈る他ありませんので、
毎日深く呼吸をし、真から祈ってます。
恐らく冷却に思ったより時間がかかりそうですから、2ヶ月はゆうにかかるのではないか。
急の危険性は20分の1くらいとは言え、荷物だけは準備しておくべきだと思います。
何故、こんな恐怖の中に我々はいるのか?
ドキドキします、不謹慎でしょうが。
それは、これが人類に課せられた試練だと信じるからです。
この難題を我々は必死で乗り越えていかなければなりません。
とてつもなく険しく厳しい道のりになることと思います。
それでも、その先のビューチホーな未来を思い焦がれずにはいられないドキドキです。
今を丁寧に舐め尽くし...、いや不謹慎でしたね(笑)
今を丁寧に紡ぎ、愛が溢れ出る未来に馳せる。
長谷る ではありません。笑
いや、長谷るでいいんだ、ある意味!笑
【長谷る】動.(限りなく自動詞)
1.一切の計画性から解脱し、情緒•自然•匂いをリアルタイムで感じ、行き当たりばったりに生きてくこと。
2.空気は読めるが、読まないこと。
3.仕事でパン焼くのにタイマーは使用しないこと。
そこの君っ、
「3月11日以前のように、好きなことを気兼ねなく楽しめる時間はもう来ないのか」と憔悴してしまう…
んじゃないっ!!
ここからじゃないか!
ここから始めるんだよ、人間らしい生活を、原始力の時代を。
食から水、電気、すべて人の丈にあった状態に戻すこと。
私達は大自然の中の小さな、しかし大きな一因(一員)なのです。
原始力
このサンファンがかがげていたものに、芯が通る。
さて、<この国の姿について>
あまりにも、政府や東電の非人道的で矮小な隠蔽、欺瞞が顕になり、あちらこちらでそれに反応し、憤慨する波を感じます。
国を動かす者達の非人道的な個的情念。
しかしながら、他方、私はこうも感じる。
「嗚々、日本人は随分と国におんぶにだっこ だったんだなぁ」と虚無感さえ感じました。
勿論、政治家は国民を代表して選ばれてるわけですし、我々は国に対して高い税金を納めてるわかですから、それをまっとうせず隠蔽するなど言語道断であると強く思います。
そして我欲の為に、殆どの国民に原発の正しい危険性を隠蔽している。
しかし、人類が知恵を得て、社会という体制を組織するようになってから何千年あったのでしょう。
あなたはその歴史の中に、どれだけの国を動かす者の歪んだ理念があったことを知っていただろうか。(個人の正義や必要悪はここでは除外し、あくまで非人道的な理念のみを抽出する)
すべて、お金と権力がそうさせている。
であるとすると、このことは驚嘆に値する。
なぜなら、人間は人間の理性を超えるものを生み出したのだから。
お金・権力。
それは国を統治する以外に、人を人ではなくすものにもなる。
中毒性の非常が強い。
結局、お金や権力構造も快楽が深化、膨張したものに過ぎない。
人間から快楽を切り離すことなど出来ない。
ただ、ここで勘違いしないでほしいことは、理性=人ではないということ。
理性や思考などというものは、「本質」とは異を唱える。
人の本質とは、それを無にすることで現出するものである。
それ正に、「ただ単に」という状態なのである。
理性や思考の喧騒と構築性を遮断した時、人はより人の深さを知ることになるだろう。
それが、「ただ単に」という状態なのである。
その感覚こそ、人が人たらしめる最もな瞬間ではないか!
話はエンデのようになってしまったが、
おんぶにだっこは、甘ったれた依存と無関心にある。
確かに安保理闘争が終わり、1980年にはもはや政治は参加性、投影性を失いつまらないものになったのかもしれない。しかし、その後拡散していった無関心が悪政を加速させ、また容易にそれを遂行出来るものへとしてしまった。
上述の社会構造の歴史からも、お金や権力が歪んだ政治を運営することは明らかであるし、それは現代であっても、いくらだって感じ取ることが出来たはずだ。
それでも、歪んだ政治に目を覆うだけで、正確な感情でもって訴えてこなかったことが、現状の悲惨な事態に一因していることを認めざるをえない。
私たちもこの社会を構成する一部であることを忘れてはならない。
それでも国は、お金や権力私情の愚かな政治を平然とやってのけるだろう。
それに対して目をつぶってはならないのである。
きちっと手を挙げて発言し、行動していくこと。
誰のものでもない、自分と自分の大切な人の人生の為。
間違いや失敗も含めて、「参加」なのだ。そこから学べばいい。
もう二度とこんな命を脅かされるような、子孫に申し訳立たぬような未来を残すような事態を起こさない為に。
<ファシズムが暗喩する政治。>
ここでは人ではなく企業としてくくらせてもらうと、東電にとってはそれが倫理なのだ。
如何様にして金を掴み、他を独占し、国の一部を担っていくか というのは、東電の倫理であって、その倫理自体に干渉することは誰にも出来ない。
集合体のひとつの価値観であるからだ。
倫理的に干渉は出来ないが、反対は出来たはずだ。
国とは何か?
それを考えさせられる。
原発建設の際、住民に対して正確で充実した説明はない。特にリスクに関して。巧みに専門用語を羅列し、安心と事実に化けた悪意でもって騙す。
しかし、そのあやふやなものに対して、人には防衛本能が備わってるわけだから、始めは反対派も多くいたはずだ。
すると、その土地を管理する責任者に対してお金や利権を与える。その土地柄が歪み始める。反対する者達は排斥され始める。
原発が稼働するまでの半金は支払われない という補償金システムも、推進派の人心を操作し(半金をちらつかせ、反対派の排斥を加速させる)、施工を進める為に編み出されものだ。
上から下へ、悪意が侵食していくのだ。
政府や東電首脳陣はクソだ。
しかし彼等の仕事は、住民と分かち合い、理解しあうことではなく、原発の施工だけなのだ。
とにかく原発を施工し、運転することだけが仕事なのである。
その過程にある人間同士の理解や共鳴は目的ではなく、感情の一切を排他した仕事なのである。
そりゃそうだ、だってこんなに危険なもの作りますって説明出来るはずなどない。
想いや情熱のない危険な建築物。
そんなもんはいつの時代であっても断固として不要なものだ。
社会全体に潜むヒエラルキーとして、自立した個人の意志が、集団であることによって喪失されていき、ある特定の意志だけに沿ってものごとが推進されてしまうような状態がある。組織において生まれがちな「集団」が持つ本能的欠陥のひとつ。
今回の原発事故でも、知識が多少ある者はテレビや新聞、学者の安全という発言に疑問を持つ。
知識なきものは信じてしまう。
それに飲み込まれないようにするには、学ぶ努力をし、知識をしっかりと抱くことだ。
何が正しいか分からないなどと嘆いていてはいけない。
自分の欲しいもんは、自分で掴むんだ。そしてそれを人と共有し、分かち合うこと。
その意味で、祝島の200人あまりのレジスタンスは、豊穣な美しい自然を未来に残し、その恩恵に感謝しそれを守ろうという明確な意志を持ち、人生をかけて国と闘っているモデルケースではないかと思う。
国の在り方もはっきり見えてくる。
30年近くも闘い続けている。継続していくことは何よりも大きい。
お金要りますか?
要らないですよね、地球と人泣かせてまで。
中卒だ、大卒だ、文系だ、理系だなんて関係ねーぞ。
祝島の原発反対派の方々は若手で60歳だ。一次産業を仕事としている方ばかり。
それでも学び続けている。
これからは自らが学び、選択していかなければならない時代だ。
特に、この大震災と福島原発事故後の2年間は、特に用心して学ばなければ、取り残されるだけでなく、醜い暗部を露呈してもはや狂乱状態の国に引きずり回されてしまうことだろう。
10年後に白血病が多発したとする。
大半の被害者には訴訟費用、電力会社の嘘に反論する知識や資料、有力な弁護士、訴訟経験、そして何よりも闘える健康な体がない。「貧しい人間、病気の人間、死んだ人間は闘えない」事を国も大企業も知っている。
放射能は見えない分、東京の人は随分と油断しているように感じます。
こうしてる内にも微量ながら被爆しているんですよ。
「気付いた時にはもう遅かった!」なんてカツオイズムではいけません。
この世界にもう答えなんてない。
いや、始めからそんなものはないのだ。
だが、不安に思うことなかれ。
ここからは、「自分の納得するもの」を見つければいいだけのこと。
そのままでいいんだよ。
貴方のそのままが必要なんだ。
そうして、分かち合う意志を抱くこと。
たくさんの情報も人も、無垢で真摯な眼で見つめなければならない。
愛する人を守れない。
おれは生きる。
トラックに惹かれても死ななかったんだ、多分放射能でも死なん。笑
放射能など噛み潰してくれるわ。
おれの内なる場所で燃え盛るエネルギーの光の方が強いのさ。
自分の人生と存在にかけて、この問題と一生向き合っていくのだ。
この魂にかけて、大自然に感謝し、生命の歓びを大切な人達と共に分かち合って生きていくのだ。
原始力発電だ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
私も突発的な異変がない限りそう思います。
勿論、原発というのは現代の科学、人智をとうに越えた代物であり、何が起こるかそれを完全に予測することは出来ません。最悪の事態になれば、200~300km圏が避難することになるでしょう。東京は250km圏ですから、二度と戻れない場所になりかねません。
こればかりは祈る他ありませんので、
毎日深く呼吸をし、真から祈ってます。
恐らく冷却に思ったより時間がかかりそうですから、2ヶ月はゆうにかかるのではないか。
急の危険性は20分の1くらいとは言え、荷物だけは準備しておくべきだと思います。
何故、こんな恐怖の中に我々はいるのか?
ドキドキします、不謹慎でしょうが。
それは、これが人類に課せられた試練だと信じるからです。
この難題を我々は必死で乗り越えていかなければなりません。
とてつもなく険しく厳しい道のりになることと思います。
それでも、その先のビューチホーな未来を思い焦がれずにはいられないドキドキです。
今を丁寧に舐め尽くし...、いや不謹慎でしたね(笑)
今を丁寧に紡ぎ、愛が溢れ出る未来に馳せる。
長谷る ではありません。笑
いや、長谷るでいいんだ、ある意味!笑
【長谷る】動.(限りなく自動詞)
1.一切の計画性から解脱し、情緒•自然•匂いをリアルタイムで感じ、行き当たりばったりに生きてくこと。
2.空気は読めるが、読まないこと。
3.仕事でパン焼くのにタイマーは使用しないこと。
そこの君っ、
「3月11日以前のように、好きなことを気兼ねなく楽しめる時間はもう来ないのか」と憔悴してしまう…
んじゃないっ!!
ここからじゃないか!
ここから始めるんだよ、人間らしい生活を、原始力の時代を。
食から水、電気、すべて人の丈にあった状態に戻すこと。
私達は大自然の中の小さな、しかし大きな一因(一員)なのです。
原始力
このサンファンがかがげていたものに、芯が通る。
さて、<この国の姿について>
あまりにも、政府や東電の非人道的で矮小な隠蔽、欺瞞が顕になり、あちらこちらでそれに反応し、憤慨する波を感じます。
国を動かす者達の非人道的な個的情念。
しかしながら、他方、私はこうも感じる。
「嗚々、日本人は随分と国におんぶにだっこ だったんだなぁ」と虚無感さえ感じました。
勿論、政治家は国民を代表して選ばれてるわけですし、我々は国に対して高い税金を納めてるわかですから、それをまっとうせず隠蔽するなど言語道断であると強く思います。
そして我欲の為に、殆どの国民に原発の正しい危険性を隠蔽している。
しかし、人類が知恵を得て、社会という体制を組織するようになってから何千年あったのでしょう。
あなたはその歴史の中に、どれだけの国を動かす者の歪んだ理念があったことを知っていただろうか。(個人の正義や必要悪はここでは除外し、あくまで非人道的な理念のみを抽出する)
すべて、お金と権力がそうさせている。
であるとすると、このことは驚嘆に値する。
なぜなら、人間は人間の理性を超えるものを生み出したのだから。
お金・権力。
それは国を統治する以外に、人を人ではなくすものにもなる。
中毒性の非常が強い。
結局、お金や権力構造も快楽が深化、膨張したものに過ぎない。
人間から快楽を切り離すことなど出来ない。
ただ、ここで勘違いしないでほしいことは、理性=人ではないということ。
理性や思考などというものは、「本質」とは異を唱える。
人の本質とは、それを無にすることで現出するものである。
それ正に、「ただ単に」という状態なのである。
理性や思考の喧騒と構築性を遮断した時、人はより人の深さを知ることになるだろう。
それが、「ただ単に」という状態なのである。
その感覚こそ、人が人たらしめる最もな瞬間ではないか!
話はエンデのようになってしまったが、
おんぶにだっこは、甘ったれた依存と無関心にある。
確かに安保理闘争が終わり、1980年にはもはや政治は参加性、投影性を失いつまらないものになったのかもしれない。しかし、その後拡散していった無関心が悪政を加速させ、また容易にそれを遂行出来るものへとしてしまった。
上述の社会構造の歴史からも、お金や権力が歪んだ政治を運営することは明らかであるし、それは現代であっても、いくらだって感じ取ることが出来たはずだ。
それでも、歪んだ政治に目を覆うだけで、正確な感情でもって訴えてこなかったことが、現状の悲惨な事態に一因していることを認めざるをえない。
私たちもこの社会を構成する一部であることを忘れてはならない。
それでも国は、お金や権力私情の愚かな政治を平然とやってのけるだろう。
それに対して目をつぶってはならないのである。
きちっと手を挙げて発言し、行動していくこと。
誰のものでもない、自分と自分の大切な人の人生の為。
間違いや失敗も含めて、「参加」なのだ。そこから学べばいい。
もう二度とこんな命を脅かされるような、子孫に申し訳立たぬような未来を残すような事態を起こさない為に。
<ファシズムが暗喩する政治。>
ここでは人ではなく企業としてくくらせてもらうと、東電にとってはそれが倫理なのだ。
如何様にして金を掴み、他を独占し、国の一部を担っていくか というのは、東電の倫理であって、その倫理自体に干渉することは誰にも出来ない。
集合体のひとつの価値観であるからだ。
倫理的に干渉は出来ないが、反対は出来たはずだ。
国とは何か?
それを考えさせられる。
原発建設の際、住民に対して正確で充実した説明はない。特にリスクに関して。巧みに専門用語を羅列し、安心と事実に化けた悪意でもって騙す。
しかし、そのあやふやなものに対して、人には防衛本能が備わってるわけだから、始めは反対派も多くいたはずだ。
すると、その土地を管理する責任者に対してお金や利権を与える。その土地柄が歪み始める。反対する者達は排斥され始める。
原発が稼働するまでの半金は支払われない という補償金システムも、推進派の人心を操作し(半金をちらつかせ、反対派の排斥を加速させる)、施工を進める為に編み出されものだ。
上から下へ、悪意が侵食していくのだ。
政府や東電首脳陣はクソだ。
しかし彼等の仕事は、住民と分かち合い、理解しあうことではなく、原発の施工だけなのだ。
とにかく原発を施工し、運転することだけが仕事なのである。
その過程にある人間同士の理解や共鳴は目的ではなく、感情の一切を排他した仕事なのである。
そりゃそうだ、だってこんなに危険なもの作りますって説明出来るはずなどない。
想いや情熱のない危険な建築物。
そんなもんはいつの時代であっても断固として不要なものだ。
社会全体に潜むヒエラルキーとして、自立した個人の意志が、集団であることによって喪失されていき、ある特定の意志だけに沿ってものごとが推進されてしまうような状態がある。組織において生まれがちな「集団」が持つ本能的欠陥のひとつ。
今回の原発事故でも、知識が多少ある者はテレビや新聞、学者の安全という発言に疑問を持つ。
知識なきものは信じてしまう。
それに飲み込まれないようにするには、学ぶ努力をし、知識をしっかりと抱くことだ。
何が正しいか分からないなどと嘆いていてはいけない。
自分の欲しいもんは、自分で掴むんだ。そしてそれを人と共有し、分かち合うこと。
その意味で、祝島の200人あまりのレジスタンスは、豊穣な美しい自然を未来に残し、その恩恵に感謝しそれを守ろうという明確な意志を持ち、人生をかけて国と闘っているモデルケースではないかと思う。
国の在り方もはっきり見えてくる。
30年近くも闘い続けている。継続していくことは何よりも大きい。
お金要りますか?
要らないですよね、地球と人泣かせてまで。
中卒だ、大卒だ、文系だ、理系だなんて関係ねーぞ。
祝島の原発反対派の方々は若手で60歳だ。一次産業を仕事としている方ばかり。
それでも学び続けている。
これからは自らが学び、選択していかなければならない時代だ。
特に、この大震災と福島原発事故後の2年間は、特に用心して学ばなければ、取り残されるだけでなく、醜い暗部を露呈してもはや狂乱状態の国に引きずり回されてしまうことだろう。
10年後に白血病が多発したとする。
大半の被害者には訴訟費用、電力会社の嘘に反論する知識や資料、有力な弁護士、訴訟経験、そして何よりも闘える健康な体がない。「貧しい人間、病気の人間、死んだ人間は闘えない」事を国も大企業も知っている。
放射能は見えない分、東京の人は随分と油断しているように感じます。
こうしてる内にも微量ながら被爆しているんですよ。
「気付いた時にはもう遅かった!」なんてカツオイズムではいけません。
この世界にもう答えなんてない。
いや、始めからそんなものはないのだ。
だが、不安に思うことなかれ。
ここからは、「自分の納得するもの」を見つければいいだけのこと。
そのままでいいんだよ。
貴方のそのままが必要なんだ。
そうして、分かち合う意志を抱くこと。
たくさんの情報も人も、無垢で真摯な眼で見つめなければならない。
愛する人を守れない。
おれは生きる。
トラックに惹かれても死ななかったんだ、多分放射能でも死なん。笑
放射能など噛み潰してくれるわ。
おれの内なる場所で燃え盛るエネルギーの光の方が強いのさ。
自分の人生と存在にかけて、この問題と一生向き合っていくのだ。
この魂にかけて、大自然に感謝し、生命の歓びを大切な人達と共に分かち合って生きていくのだ。
原始力発電だ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!