神様、お上様
人類が知恵を授かった時、身に降り掛かる災いや不幸から精神を守る為に、人々は「神様」という名の絶対存在を作り出し、そしてそれは信仰というインフルエンスを併発した。
人は弱い。
人には「恐怖」という緊縛と快楽が内在する。
だからどうにもならない時、神という不可視的偶像に祈る。
そうゆう人間の心理を産業革命が起きた時から、いやいやもっとずっと昔から巧みに一般市民を操作してきた権力者達。
この仕組みを官僚機構は十分に知っているので、自らを神格化させ、さらにそれに付随する情報をも操作する。
この世界には偽の崇拝対象が万延している。
神格化させ、国民がそれにすがるような対象には、マネー信仰やイデオロギー信仰だけでなく官僚信仰やマスメディア信仰までメニューはふんだんにある。
官僚機構の暴力装置を後ろ盾にして資本家たちも偶像を使った商品を大量に流通させて来ました。
彼らは暴力装置を持っている。いわゆる権力です。資本力も権力と交換できる力です。情報も洗脳装置となる権力です。
この「暴力」という後ろ盾を見せつけるのは卑劣極まりない。
「正義の味方」の検察はろくでもない悪行を隠蔽していたし、マスメディアが操作する「世間」というなのバーチャルのイメージとは官僚機構の保身を維持強化するための「官僚様」のアバターだ。支配階級が流通させていたウソの情報を恐れ、天の感覚、即ち本当の神様を奪われていたことに、今日の国民達は気づき始めたのではないでしょうか。
ほんとうに気づかないところで心に宿る情報が洗脳。
洗脳とは疑問を封じる快感のこと。情報は快感に目隠しされて崇拝の対象として回収される商品になってしまう。何かを信じずには生きられない人間の宿命である。
天も国民も信じないニヒリズムの上にイデオロギーを乗せると「最小不幸」の菅直人思想になります。
情報とは流通する商品。
お金に換金出来るものから出来ないものまでありますが、商品です。
商品は受けて流すという宿命を持っている。
よってそれは、立ち止まって思考するという時間を自ら流し、自分自身が反応する商品になってしまうということだ。
情報は見えないところで資本と結び付き洗脳装置に変貌することに国民は気付いた。
官報による宣撫工作のカラクリなどです。
旧時代のメディアにはお上が操作した「規制」というものと、各媒体のスポンサーの影響が多大に顕著化していたからです。
要するに、国民に届く情報は操作されていたと。
しかし、ツイッターを始めてみて、たくさんの個人的意見の交換が、自らがメディアとなり情報を展開することで洗脳されていない情報の出現を感じることが出来ました。
情報操作による「大いなる勘違い」に気づいた国民は真実の情報を流し始めました。これもひとつの闘い方です。
同時に不思議な現象も起きています。情報そのものを信じるなという感覚も生まれました。
地上に流通する催眠術から身を守る安全装置として伝統的な神仏があるのだと思います。
神仏もフィクションです。現象界から見た「神仏」は、人が「神仏」だと認識を持った時点で捕らわれてしまいます。ただし、官僚機構や資本権力が作り出すフィクションを可視化する機能を持っています。論理構成が真逆だからです。
その対比から止揚される「何か」を発見出来るのだと思います。
それに国民も気付き始めているのではないでしょうか。
レジスタンス!!!!!
どう考えたってこの世界で生きていれば、違和感は感じる。その違和感に目をつぶりお上の言うがままに従う時代は終わった。
我々が勉強し、行動していくことだ。
慈愛とシンプルな感情でもって。
権力者達だけが余りに過剰な金銭をたらいまわしている。
我々の税金で。
そして違和感ある政策には必ず、権力者達が過剰に儲かるカラクリが隠れている。
同時に自分は彼らのような「恥ずかしいこと」をしていないだろうかと内省する。
するといろいろ見つかるものです。彼らを非難しているエネルギーを一旦自省に向けると発見があります。
反省は悪くない。
「ああいう人間にはなりたくない」という目線をそのまま自分に向けるとビックリするほど恥ずかしい自分を発見します。
その開眼した目で再び「世界」を見直すと弱点が丸見えになります。反省の効用です。自分の弱点を発見すると敵の弱点もよく分かります。
しかしながら、お上だって人間なのである。
警察だって人間だ。アホみたいなことも平気で言ってくるし、ミスだってする。
そしてなによりお上で働く人達は、上層部の腐りきったシステムの下で働いているのである。
おかしい と思っている人も沢山いるだろう。
最後に。
「別に国に従順していれば違和感あってもそれでいいじゃん」という人もいるだろう。
けれども、自分たちの子や、孫の為に「自らが選択する未来」という意志を教えていきませんか。
この先の時代、必ず今よりもっと酷い時代がくるでしょう。勿論、そうは願いたくありません。
手塚先生の「火の鳥」のように、権力者同士の「暴力」とう後ろ盾が顕在化し、戦争という不条理な暴力によって地上が死に絶え、地下生活を送る なんていう世界はマンガの話ではなくなるのではないでしょうか。
最後は「暴力」で という考えが非人道的である。
そうなる前に今から話し合い、譲り合い、少しずつ世界を良くしていけたら...。
人は弱い。
人には「恐怖」という緊縛と快楽が内在する。
だからどうにもならない時、神という不可視的偶像に祈る。
そうゆう人間の心理を産業革命が起きた時から、いやいやもっとずっと昔から巧みに一般市民を操作してきた権力者達。
この仕組みを官僚機構は十分に知っているので、自らを神格化させ、さらにそれに付随する情報をも操作する。
この世界には偽の崇拝対象が万延している。
神格化させ、国民がそれにすがるような対象には、マネー信仰やイデオロギー信仰だけでなく官僚信仰やマスメディア信仰までメニューはふんだんにある。
官僚機構の暴力装置を後ろ盾にして資本家たちも偶像を使った商品を大量に流通させて来ました。
彼らは暴力装置を持っている。いわゆる権力です。資本力も権力と交換できる力です。情報も洗脳装置となる権力です。
この「暴力」という後ろ盾を見せつけるのは卑劣極まりない。
「正義の味方」の検察はろくでもない悪行を隠蔽していたし、マスメディアが操作する「世間」というなのバーチャルのイメージとは官僚機構の保身を維持強化するための「官僚様」のアバターだ。支配階級が流通させていたウソの情報を恐れ、天の感覚、即ち本当の神様を奪われていたことに、今日の国民達は気づき始めたのではないでしょうか。
ほんとうに気づかないところで心に宿る情報が洗脳。
洗脳とは疑問を封じる快感のこと。情報は快感に目隠しされて崇拝の対象として回収される商品になってしまう。何かを信じずには生きられない人間の宿命である。
天も国民も信じないニヒリズムの上にイデオロギーを乗せると「最小不幸」の菅直人思想になります。
情報とは流通する商品。
お金に換金出来るものから出来ないものまでありますが、商品です。
商品は受けて流すという宿命を持っている。
よってそれは、立ち止まって思考するという時間を自ら流し、自分自身が反応する商品になってしまうということだ。
情報は見えないところで資本と結び付き洗脳装置に変貌することに国民は気付いた。
官報による宣撫工作のカラクリなどです。
旧時代のメディアにはお上が操作した「規制」というものと、各媒体のスポンサーの影響が多大に顕著化していたからです。
要するに、国民に届く情報は操作されていたと。
しかし、ツイッターを始めてみて、たくさんの個人的意見の交換が、自らがメディアとなり情報を展開することで洗脳されていない情報の出現を感じることが出来ました。
情報操作による「大いなる勘違い」に気づいた国民は真実の情報を流し始めました。これもひとつの闘い方です。
同時に不思議な現象も起きています。情報そのものを信じるなという感覚も生まれました。
地上に流通する催眠術から身を守る安全装置として伝統的な神仏があるのだと思います。
神仏もフィクションです。現象界から見た「神仏」は、人が「神仏」だと認識を持った時点で捕らわれてしまいます。ただし、官僚機構や資本権力が作り出すフィクションを可視化する機能を持っています。論理構成が真逆だからです。
その対比から止揚される「何か」を発見出来るのだと思います。
それに国民も気付き始めているのではないでしょうか。
レジスタンス!!!!!
どう考えたってこの世界で生きていれば、違和感は感じる。その違和感に目をつぶりお上の言うがままに従う時代は終わった。
我々が勉強し、行動していくことだ。
慈愛とシンプルな感情でもって。
権力者達だけが余りに過剰な金銭をたらいまわしている。
我々の税金で。
そして違和感ある政策には必ず、権力者達が過剰に儲かるカラクリが隠れている。
同時に自分は彼らのような「恥ずかしいこと」をしていないだろうかと内省する。
するといろいろ見つかるものです。彼らを非難しているエネルギーを一旦自省に向けると発見があります。
反省は悪くない。
「ああいう人間にはなりたくない」という目線をそのまま自分に向けるとビックリするほど恥ずかしい自分を発見します。
その開眼した目で再び「世界」を見直すと弱点が丸見えになります。反省の効用です。自分の弱点を発見すると敵の弱点もよく分かります。
しかしながら、お上だって人間なのである。
警察だって人間だ。アホみたいなことも平気で言ってくるし、ミスだってする。
そしてなによりお上で働く人達は、上層部の腐りきったシステムの下で働いているのである。
おかしい と思っている人も沢山いるだろう。
最後に。
「別に国に従順していれば違和感あってもそれでいいじゃん」という人もいるだろう。
けれども、自分たちの子や、孫の為に「自らが選択する未来」という意志を教えていきませんか。
この先の時代、必ず今よりもっと酷い時代がくるでしょう。勿論、そうは願いたくありません。
手塚先生の「火の鳥」のように、権力者同士の「暴力」とう後ろ盾が顕在化し、戦争という不条理な暴力によって地上が死に絶え、地下生活を送る なんていう世界はマンガの話ではなくなるのではないでしょうか。
最後は「暴力」で という考えが非人道的である。
そうなる前に今から話し合い、譲り合い、少しずつ世界を良くしていけたら...。