池江璃花子が白血病であることを公表した・・・これは数ある有名人のがん告白の中でも最も衝撃的なニュースだ。
現代医学では原因のわからない白血病・・・つまり偶発的に人を襲うこの病が、よりによって彼女を襲うとは・・
いろいろな人が意見を言っている。「水泳のことは忘れて治療に専念してほしい」という意見には反対だ(家族がそう思うのは仕方ない)。彼女には水泳への早期復帰、東京五輪出場を目指してもらいたい。これぞ、「闘病」であろう。
私は肺腺がんステージⅣが発覚して以来、「闘病」しないことを宣言してきた。「病気と闘う」という抽象的な言葉に違和感があるからだ。「病気を治すためには強い気持ちを維持する・・すなわち弱気になってはいけない」というのなら自分にふさわしい。だからこれまで一度も弱気になんか、悲観的になんかなったことがない。悲観的になることは治療以外にも悪影響を及ぼす・・人生が楽しくなくなる。
「闘病しない」というもう一つの理由は、「是が非でも生き続けたいと言うほどやり残したことがない」ということであり、「高齢になってがんで死ぬのは自分の価値観では幸せなことだ」と思ってもいるからだ。
その点池江璃花子の場合、私とは全く異なる場所にいる。まだ18歳の彼女が病気を克服して東京五輪でメダリストにでもなろうものなら、それが国民に与える影響は計り知れない。がんを克服して復帰する芸能人などとは比べ物にならない。できることなら治療の合間に筋トレでもやってもらいたいものだ。
「期待しすぎると期待に応えられないときの反動が大きすぎるので期待しすぎないほうがいい」という人がいるが私は反対だ。だって彼女には東京五輪がダメでもそのあとの五輪出場や世界新記録を目指すチャンスがあるのだから。何度でも挑戦できる・・でもまず目先に目標を置くことだ。彼女はまだ若いけど、すごくしっかりした印象がある・・強い精神力がある。
若くて精神力があって肉体力があるのだから、そして何よりも高い目標があるのだから、「闘病」すべきだ。