がんが判明してから10カ月以上が経過した。今回は記念すべき?101回目の投稿。
振り返ってみよう・・・
ステージ犬稜戮んの宣告を受けた時、不思議とショックもなく他人事のように医師の話を聞いていた。
突然知らされたというより、その前の整形外科の検査結果で「腰椎と肺と前立腺に影が見られるので、呼吸器内科と泌尿器科を受診するように」と指示されたときにある程度覚悟ができていたからかもしれない。結局泌尿器科では「がんかどうかは不明、経過観察しましょう」という話になったが、呼吸k内科では肺がんほぼ確定、妻を同伴するよう言われてステージ犬寮觜陲鮗?韻拭3猟蠖巴任里燭瓩紡燭の検査を受けたが、がんではないという期待はあまりしなかった。
そのときから「死を心配する」「辛い闘病を心配する」ということは自覚の上ではしていない。その後肺がんや治療法のことを調べているうちに、「肺腺がんと治療法」に興味がわいてきた。それは結構奥が深いからだ・・・。
もともと私は「心配のループに入らない」という心構えを持つようにしている。それは、妻が結構な心配性で、解決するはずのないことを延々心配して不眠になることを見ていたからかもしれない。妻には「少なくとも寝る前に心配なことを考えるな」と助言したが、それはあまり意味のないことだった。「趣味を持て」という助言もしたが、なかなかうまくいかなかった。しかしあるとき勧めたパズルに妻がはまった。それは「数独」あるいは「ナンバープレース」と言われる、単純だが奥の深いパズルだ。さすがに夜寝る前にはしないが、昼間の暇な時に結構やっている。私は「心配に移行しやすい心の隙間を埋めるには効果的だった」と思っている。
さて私のがんだが、やはり心配が何も解決しないことははっきりしている。しかしほかに考えることがなければ心配ごとに向かってしまう恐れは十分ある。それにこの10カ月余り、がんのことを忘れた日は1日もない。何せ毎日1回薬を飲むのだから・・。そして軽いとはいうものの頻繁に種々の副作用に見舞われているので忘れようがない。・・・だから心配するのではなく「薬の開発や副作用に興味を持つ」すなわち「肺腺がんを趣味にする」ことを決めたのだ。
振り返ってみよう・・・
ステージ犬稜戮んの宣告を受けた時、不思議とショックもなく他人事のように医師の話を聞いていた。
突然知らされたというより、その前の整形外科の検査結果で「腰椎と肺と前立腺に影が見られるので、呼吸器内科と泌尿器科を受診するように」と指示されたときにある程度覚悟ができていたからかもしれない。結局泌尿器科では「がんかどうかは不明、経過観察しましょう」という話になったが、呼吸k内科では肺がんほぼ確定、妻を同伴するよう言われてステージ犬寮觜陲鮗?韻拭3猟蠖巴任里燭瓩紡燭の検査を受けたが、がんではないという期待はあまりしなかった。
そのときから「死を心配する」「辛い闘病を心配する」ということは自覚の上ではしていない。その後肺がんや治療法のことを調べているうちに、「肺腺がんと治療法」に興味がわいてきた。それは結構奥が深いからだ・・・。
もともと私は「心配のループに入らない」という心構えを持つようにしている。それは、妻が結構な心配性で、解決するはずのないことを延々心配して不眠になることを見ていたからかもしれない。妻には「少なくとも寝る前に心配なことを考えるな」と助言したが、それはあまり意味のないことだった。「趣味を持て」という助言もしたが、なかなかうまくいかなかった。しかしあるとき勧めたパズルに妻がはまった。それは「数独」あるいは「ナンバープレース」と言われる、単純だが奥の深いパズルだ。さすがに夜寝る前にはしないが、昼間の暇な時に結構やっている。私は「心配に移行しやすい心の隙間を埋めるには効果的だった」と思っている。
さて私のがんだが、やはり心配が何も解決しないことははっきりしている。しかしほかに考えることがなければ心配ごとに向かってしまう恐れは十分ある。それにこの10カ月余り、がんのことを忘れた日は1日もない。何せ毎日1回薬を飲むのだから・・。そして軽いとはいうものの頻繁に種々の副作用に見舞われているので忘れようがない。・・・だから心配するのではなく「薬の開発や副作用に興味を持つ」すなわち「肺腺がんを趣味にする」ことを決めたのだ。