私はほぼ唯物論者だから、人間(生物)が死んだらただの物質になると考えている。魂などが残るはずがない。魂とは人間の脳に記憶されているもので、脳が完全停止したらおしまいだ。
実は魂とは残された人の脳内の記憶だろうと思う。
死後にどんなにぞんざいな扱いを受けようが本人にとっては何の意味もない。しかしぞんざいな扱いをした残された者は後悔をするかもしれない。つまり墓参りをするのは死者を慰霊するのではなく、残されたものが安らぐためなのである。だから私は自らの意思としては墓を作ることを望まない。散骨で十分だと遺言書にも書いた。もちろん墓を作ることを拒否しているわけではない。それは残された者のためのものだから・・。だから散骨だろうが共同墓であろうが気の済むようにすればよい。金儲けしたら家の墓を作るというのでもいい。
 
唯物論者だから自分にとっては死後のことはどうでもよく、死ぬ前のことのほうが重要だ。
以前から妻と「ぽっくり逝くのがいいね」と話している。これは多くの高齢者に共通することだろう。「ぽっくり」は「苦しみの期間が少ない」ということを意味している。そして同時に「家族などが看病する苦労が少ない」ということも意味している。
その対極にあるのが「痴呆症」であるいは「寝たきり」で、自分の意思とは無関係に生き続けることだ。その点でも日野原医師の最期に共感する。「胃ろう」や「経管栄養」はやめてくれ、ましてや植物人間として延命するのは金輪際いやだ。
 
でもそう都合よくぽっくりとは逝けない。だとすると「がん死」はその中間のベターな死に方だと思えてきた。もちろんがんが治って長生きする可能性も残っているが、がんが悪化すれば「命は有期」だろう。有期の命については次回・・・・