
彼はウォーキングの常連だが、私は初心者というか歩くことにはあまり興味はない。
しかし大正時代に書かれた「久里浜村誌」に「久村と岩戸の境界(峠)が「山水の眺望絶景」と記述されていたので興味を持った。
ここは知る人ぞ知るハイキングコースらしいが、ネットの情報などはほとんどない。
添付の画像は国土地理院の地図にポイントの記号等を書き込んだものである。写真も撮ったが、未整理なので今回はマップのみを取り上げる。地図の右下に拡大ボタンがある。
われわれは岩戸側からスタートした。岩戸入り口とハイランド入口の間(A地点)、やや岩戸寄りの細い道である。このあたりの道は簡易的な舗装もされていて広い。
しばらく登ると分かれ道(B地点)があるので左に進む。ここらから狭い未舗装道路になる。しばらく登っていくと、ちょうど峠になっているところ(C地点)に差し掛かる。峠と言っても、左右が高い谷間のような、しかし道としては頂点付近である。ここまでは20分前後、疲れる間もなく到着する。
地図上ではこの南が台地になっていて、ここが「久里浜村誌」に書かれている場所らしい。「久里浜村誌」では「矢切台」とされる。江戸時代中期に寺があったころ、一人の武士が訪れて、境内で鳩を射落としたという。つがいだったらしく連れ合いを探すもう一羽の鳩を見た武士は慈悲を感じて反省し、持っていた矢をすべて断ち切ったという。これが「矢切台」の名の所以である。しかし当世の人はここが「矢切台」ということも知らない。
ここでD地点に向かったが、右側は高さ数mの笹薮であり台地のほう(X地点)に行けない。つまり、ここの眺望は見ることができないのだ。D地点に行くと、山道はさらに下っている。どんどん下っていくとハイランドの住宅がすぐそこに見えてきた。そのまま行くとハイランド3丁目の住宅地に着けるらしいが、引き返した。このX地点は岩戸村(現岩戸1丁目)と久村と野比村(現ハイランド3丁目)の境界である。
C地点から北側に登ってみた。地図には道がないものの頂上(Y地点・標高143m)と思われるところまで登れた。その先の木立の間には佐原のあたりが見える。しかし木が多いのでいずれの方向もあまり眺望はよくない。ここまでの所要時間30分あまりである。
C地点へ戻って東へ下ると分かれ道(E地点がある)ここはD地点の手前とつながっているはずなのだが、D地点の手前では道を見つけることはできなかった。そのまま進むと分かれ道(F地点)があって正面に民家が見えた。そのまま南側の道を進んだが、ここは私邸の庭の中の道らしく、北側の道を通るべきだった。さらに下ったところにある分かれ道(G地点)には北側を通るよう「横須賀市土木部の案内板」が立っていた。
そこからはほぼ道なりに歩くと市道(H地点)に出た。ここまでいろいろ寄り道をしても約1時間の道程であった。老人でも足が悪くなければ、ハイキングと言うよりちょっとした散歩かもしれない。
ここらにはハイキング(散歩)のついでに立ち寄っても面白い寺院があるので軽く紹介しておこう。
岩戸側では三浦大介義明の末子、佐原十郎義連が建てたと伝わる「満願寺」がある。久村には枝垂れ桜がきれいな等覚寺がある。さらに少し北の佐原(5丁目)まで足を延ばすと桜のきれいな慈眼院があり、その裏手の畑付近はいわゆる「茅山貝塚」跡である。両方の寺のある山は縄文時代には海に突き出した鼻(二つ)であったらしく、貝塚は縄文人が貝殻を海岸に捨てた跡である。また久里浜(2丁目)方向に歩くと、内川新田を開拓した砂村新左衛門が再興したと伝わる正業寺があり、ここには新左衛門の墓もある。・・・続く