今日は理研および調査委員会が小保方論文の不正認定を変えないという主旨のの会見を行っている。
 
その中で目に留まったのがタイトルに書いたように、「論文を取り下げるのなら特許も取り下げるべきではないか」というあまりにもお馬鹿な記者・・・。
 
特許は間違っていようが、コピペがあろうが、公序良俗に反しようが取り下げる義務などないのだ。もし技術的に間違っていたり、実現不可能であれば登録を拒絶されるだけだ。それでも取り下げるべきだというのなら、そのことを規定している規則を挙げてみろ!
 
もちろん文章を読んだだけで審査官は実現性を完全には評価できないから、登録された特許の中には数えきれないほどのいい加減なものが残っている。これらが残っていても何も害悪はないのだ。なぜなら実現性のない技術を真似しようという人もいないからだ。あるいは他者にとって何の障害にもならないからだ。
 
学術論文には科学者の倫理と言うものがあるらしく、その規定に問われているかどうかが問題になっている。そんなことは科学の世界だけだ。経済学や邦楽の論文を書いて、考察の経過が分かるようなノートがないことについて問われることはない。ほぼ言いたい放題だ。だからなぜ取り下げにこだわるのかよくわからない。学会や出版社が不受理の処分をして、必要なら論文(印刷物等)を回収する・・・すなわち論文を抹消してしまえばいいではないか。
 
さて話を戻して、いわんや特許の取り下げなど愚の骨頂だ。
 
取り下げてしまえな権利は消滅してしまう。STAP細胞がやはり作れるということになったとしても、日本は基本的な権利を失うことになるのだ。特許は図や文章が間違っていればいつでも修正可能だ・・もちろん当初出願よりも権利を拡大することはできない。主張する権利が広すぎる場合は、審査官から権利主張を縮小するよう求められ、言うことを聞かなければ拒絶されるだけだ。
 
科学技術を扱う記者ならもっとましなことが言えないのか!