今回は「起業家と宗教」について考えてみよう。
藤田晋が宗教にかかわっているわけではないから比較論にはならないかもしれないが・・。
藤田は以前のブログで「私は宗教団体の教祖のようではありません」と述べている。社員があふれるような「やる気」をもって仕事に取り組んでいるのは、宗教者のような暗示をかけたり、洗脳したりしているわけではなく、社員が自発的にやっているのだと言いたいのだろう。
しかし彼のカリスマ性が社員の心を動かしている可能性は高い。成功した起業家は大なり小なりカリスマ性を持っている。初期段階の発展はこのカリスマ性抜きでは説明できない。信じることはベクトルをそろえることになり、ベクトルの合わない者の集合である大企業より、スピードが圧倒的に速くなるのだ。
マックス・ウェーバーは「支配の3類型」として「合理的支配」「伝統的支配」「カリスマ的支配」を挙げている。もちろん多くの支配者は純粋にどれかということはなく複数の側面を持っている。
合理的支配とは法秩序に裏付けられた支配であり、現代の会社経営や政権・自治体運営などはほぼこれに属する。伝統的支配は王族による継続的な支配が典型的なものである。そしてカリスマ的支配はカリスマすなわち個人の天賦の力によるものであり、超人間的・超自然的な力で社会を支配した古代の呪術師・預言者などが代表的だが、現代では「人々の心を惹きつけるような強い魅力」を持った人が経営者であったり、スポーツのリーダーであったり、職人であったりする場合に広く用いられる。
彼は今後宗教家のようにふるまったりすることはないだろうが、自らのカリスマ性が大きな力になっていることを自覚しておかねばならない。なぜならカリスマ性を毀損するようなことが起きるとたちまち支配が崩れ、事業そのものが崩れる恐れがあるからだし、そのような前例はたくさんある。理想的にはカリスマ的支配の効果を意識しながら、合理的支配を強化していくべきだろう。
成功した起業家の大先輩である稲盛和夫は功成り名を遂げた65歳の時に臨済宗妙心寺派円福寺で在家得度を受け仏門に入った。砂村新左衛門はその遺訓で仏道に入ることの重要性を書いているが、どのような得度を受けたのかは定かでない。死の前年(65歳)までに書かれた遺訓では「砂村新左衛門入道真悦」と署名しており、得度を受けていたことがうかがわれる。「入道」とは出家または剃髪して仏道に入って修行する人のことであり、「真悦」は墓碑にも刻まれる法名(戒名)なのである。
藤田晋の25年後は・・・わからない・・・。
藤田晋が宗教にかかわっているわけではないから比較論にはならないかもしれないが・・。
藤田は以前のブログで「私は宗教団体の教祖のようではありません」と述べている。社員があふれるような「やる気」をもって仕事に取り組んでいるのは、宗教者のような暗示をかけたり、洗脳したりしているわけではなく、社員が自発的にやっているのだと言いたいのだろう。
しかし彼のカリスマ性が社員の心を動かしている可能性は高い。成功した起業家は大なり小なりカリスマ性を持っている。初期段階の発展はこのカリスマ性抜きでは説明できない。信じることはベクトルをそろえることになり、ベクトルの合わない者の集合である大企業より、スピードが圧倒的に速くなるのだ。
マックス・ウェーバーは「支配の3類型」として「合理的支配」「伝統的支配」「カリスマ的支配」を挙げている。もちろん多くの支配者は純粋にどれかということはなく複数の側面を持っている。
合理的支配とは法秩序に裏付けられた支配であり、現代の会社経営や政権・自治体運営などはほぼこれに属する。伝統的支配は王族による継続的な支配が典型的なものである。そしてカリスマ的支配はカリスマすなわち個人の天賦の力によるものであり、超人間的・超自然的な力で社会を支配した古代の呪術師・預言者などが代表的だが、現代では「人々の心を惹きつけるような強い魅力」を持った人が経営者であったり、スポーツのリーダーであったり、職人であったりする場合に広く用いられる。
彼は今後宗教家のようにふるまったりすることはないだろうが、自らのカリスマ性が大きな力になっていることを自覚しておかねばならない。なぜならカリスマ性を毀損するようなことが起きるとたちまち支配が崩れ、事業そのものが崩れる恐れがあるからだし、そのような前例はたくさんある。理想的にはカリスマ的支配の効果を意識しながら、合理的支配を強化していくべきだろう。
成功した起業家の大先輩である稲盛和夫は功成り名を遂げた65歳の時に臨済宗妙心寺派円福寺で在家得度を受け仏門に入った。砂村新左衛門はその遺訓で仏道に入ることの重要性を書いているが、どのような得度を受けたのかは定かでない。死の前年(65歳)までに書かれた遺訓では「砂村新左衛門入道真悦」と署名しており、得度を受けていたことがうかがわれる。「入道」とは出家または剃髪して仏道に入って修行する人のことであり、「真悦」は墓碑にも刻まれる法名(戒名)なのである。
藤田晋の25年後は・・・わからない・・・。