砂村新左衛門と藤田晋の「労働時間」に関する考え方を比べてみた。・・・と言っても江戸時代初期と現代ではあまりに社会環境が異なるので比較は容易でない。
新左衛門が砂村新田や内川新田を開拓して地主になった頃、何人かの「家来」を抱えており、その下に下働きの者がいたことは「遺訓」からもうかがえるが詳しいことはわからない。
江戸時代以降では大きな商人は多くの「奉公人」を抱えていたとされる。「奉公人」は初期では「武家奉公人」のことであり、新左衛門の頃は「家来」と呼んだのかもしれない。ただし「遺訓」の表現から推察すると「家来」は中間管理職のようである。商家の奉公人は番頭、手代、小僧(関西では丁稚)に分類される。江戸時代後期の言い伝えでは砂村(名主)家には番頭、手代が存在したということなので商家に準じた体制だったと思われる。小僧(丁稚)は普通は無給であるが衣食住を提供されていた。手代以上は給金をもらうことができ、番頭は自分の家を持つこともできた(商家の一般論)。
新左衛門は「遺訓」において次のように書いている。「月に一日ずつ休み日を定め、操りにても見物に銭を取らせ遊山一日させ、残り二十九日は責め遣いに遣いそうろうても、さのみ腹立ち申さずそうろうこと、百姓土民はかくの如き心得をもって不憫かりそうろうこと肝要なり」・・・当時の小僧(平社員)には盆暮れと藪入り以外には休みがないのが普通であったが、月に一日休みを与えて小遣いも渡して見物などで遊ばせてやれば、二十九日はこき使っても腹が立たない・・と言っている。今の労働条件と比較すればひどいものだが、新左衛門の考え方は当時としては先進的(社員思い)だったかもしれない。一日の労働時間は食事や簡単な休憩を除く日の出(明るくなって)から日の入(暗くなる)までであったろうから、これも結構厳しいものであった。
一方藤田晋率いるサイバーエージェント社の労働条件はよくわからない。明確な労基法違反はできないだろうから、あまり無茶な人使いはできない。しかし自身の若いころ(起業前)の働きっぷりについては自らが述べている。「始発で会社に来て、始業時間が始まる頃には営業に出かけ、夜は終電ぎりぎりまで仕事。土日などの休日も当然出社。ゴールデンウィーク、夏休みもとらず、1日も休むことなく私は働き続けました。」・・・これは(自発的とは言え)明らかに昔の小僧(丁稚)よりは長時間働いている。
おそらく藤田晋は、若いころの自分のような働き方を社員に強制しているわけではなかろう。しかし「無茶苦茶と言えるほど働いてビジネスマンとしての基礎を作る」という価値観があることは確かだ。私が過去に会ったことのあるベンチャー企業経営者やそこの社員にも共通することだ。
成功する起業家に共通するのは「社員は愛情を持ってこき使え」という考えかもしれない。
新左衛門が砂村新田や内川新田を開拓して地主になった頃、何人かの「家来」を抱えており、その下に下働きの者がいたことは「遺訓」からもうかがえるが詳しいことはわからない。
江戸時代以降では大きな商人は多くの「奉公人」を抱えていたとされる。「奉公人」は初期では「武家奉公人」のことであり、新左衛門の頃は「家来」と呼んだのかもしれない。ただし「遺訓」の表現から推察すると「家来」は中間管理職のようである。商家の奉公人は番頭、手代、小僧(関西では丁稚)に分類される。江戸時代後期の言い伝えでは砂村(名主)家には番頭、手代が存在したということなので商家に準じた体制だったと思われる。小僧(丁稚)は普通は無給であるが衣食住を提供されていた。手代以上は給金をもらうことができ、番頭は自分の家を持つこともできた(商家の一般論)。
新左衛門は「遺訓」において次のように書いている。「月に一日ずつ休み日を定め、操りにても見物に銭を取らせ遊山一日させ、残り二十九日は責め遣いに遣いそうろうても、さのみ腹立ち申さずそうろうこと、百姓土民はかくの如き心得をもって不憫かりそうろうこと肝要なり」・・・当時の小僧(平社員)には盆暮れと藪入り以外には休みがないのが普通であったが、月に一日休みを与えて小遣いも渡して見物などで遊ばせてやれば、二十九日はこき使っても腹が立たない・・と言っている。今の労働条件と比較すればひどいものだが、新左衛門の考え方は当時としては先進的(社員思い)だったかもしれない。一日の労働時間は食事や簡単な休憩を除く日の出(明るくなって)から日の入(暗くなる)までであったろうから、これも結構厳しいものであった。
一方藤田晋率いるサイバーエージェント社の労働条件はよくわからない。明確な労基法違反はできないだろうから、あまり無茶な人使いはできない。しかし自身の若いころ(起業前)の働きっぷりについては自らが述べている。「始発で会社に来て、始業時間が始まる頃には営業に出かけ、夜は終電ぎりぎりまで仕事。土日などの休日も当然出社。ゴールデンウィーク、夏休みもとらず、1日も休むことなく私は働き続けました。」・・・これは(自発的とは言え)明らかに昔の小僧(丁稚)よりは長時間働いている。
おそらく藤田晋は、若いころの自分のような働き方を社員に強制しているわけではなかろう。しかし「無茶苦茶と言えるほど働いてビジネスマンとしての基礎を作る」という価値観があることは確かだ。私が過去に会ったことのあるベンチャー企業経営者やそこの社員にも共通することだ。
成功する起業家に共通するのは「社員は愛情を持ってこき使え」という考えかもしれない。