
社伝によれば内川新田検地の年(万治三年六月)に大阪(当時の摂津国西成郡上福島村)の天満宮(今の福島天満宮、元の上の天神)から菅原道真公の分霊を勧請してこの地に天神社を建てたのだが、当初は今の場所より南寄り(神明小校庭付近、元の久里浜村)であったと伝わる。新編相模国風土記稿では内川新田に移したのが万治三年とされている。
正業寺を村の寺とするなら、天神社は村の社(鎮守)である。
天神と対応する水神は元は今の久里浜駅付近の地名だった。おそらく水神が祀られていたのであろう。延宝年間になって砂村新四郎は屋敷内に水神社を建てて、両社を村の鎮守としていた。水神社は明治に入って天神社に合祀され、今に至っている。