
江戸時代初期に開拓(干拓)された内川新田・・土地そのものが「記念物」ではあるのですが、土地では見た目にはよくわかりません。
もっとも見た目にわかりやすい最古の遺跡は、今夫婦橋の際に保存される「祈念碑」です。記念ではなくわざわざ祈念としたのには私のこだわりがあります。市はこれが「内川新田の完成を記念して建てられたもの」と説明していますが、書かれている碑文からは「記念」という晴れがましさはうかがえず、「祈念」という願い・祈りの気持ちがうかがえるのです。
正面に大きく「南無阿弥陀仏」が刻まれ、左右に「霊巌寺」「大誉」と書かれています。つまり深川(江東区)の有名なお寺の上人に、お祈りをしてもらったのです。そして下部に新左衛門が石碑を建てた理由を記しています。書かれた日付寛文七年(1667年)三月は彼が死ぬ9か月前のことです。
そこには「新田を開発し、水門樋を完成して8年、未だに水門樋がたびたび壊れて苦労した」「この石碑を建てたので今後は子孫や村人が安らかでいれらるようお祈りします」という趣旨のことが書かれているのです。
8年前とは万治二年(1659年)であり、最初の検地を受けたのが万治三年(1660年)と伝わりますので、およそ一致します。最初の検地は、いわば役所が「これから年貢を徴収する」というものですから、公式な完成を意味します。実際には寛文五年(1665年)に奉行所が「内川新田で耕作したい者は新左衛門と契約しなさい」という高札を建てていますので、実質的な完成は寛文五年頃のようです。寛文五年には開発の謂れを記した(別の)石碑が建てられたらしいのですが、残念ながら残っていません。