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私は内川新田(横須賀市)や砂村新田(江東区)を開拓した砂村新左衛門の調査研究を継続している。その成果は自費出版「砂村新左衛門」にまとめたが、その後の調査結果も含めてホームページ「砂村新左衛門のすべて」に公開している。
http://www2.bbweb-arena.com/iaponia/index.htm
しかしこれらはやや専門的な記述になっていてやや馴染み難いところがある。そこで、地元(久里浜地区)の中心地である「内川新田」に絞って、できるだけ読みやすく書いた画像つきのトピックスをこのブログに連載することにした。

初回の画像は「内川新田絵図の複製」である。内川新田の検地は万治三年(1660)とされていて、これは延宝七年(1679)に描かれたものを私がパソコン上で複製したものだ。砂村新左衛門は寛文七年(1667)に亡くなったが、所有区分についてその子孫である新三郎と新四郎の間で裁判になり、当時のは走水奉行が下した判決に基いて作成されたものである。横須賀市自然人文博物館に所蔵される実物の裏には判決文が記載されている。

判決によると「新三郎と新四郎は絵図で色分けされた等分の土地を所有することになった」とされる。絵図は現代の地図とは向きが違うので分かり難いが、今の平作川の流域が内川新田であり、絵図の右端は今の湘南橋付近(北久里浜・森崎側)である。北東の隣村は久比里村・吉井村・池田村で、南西の隣村は森崎村・佐原村・久村・八幡村・久里浜村である。