最近テレビでも新聞でもいじめ報道が目立つ。
大津の中学と教育委員会のおバカな対応がきっかけで盛り上がっている。
その中でいじめと暴行を一緒くたにしていることについては腹が立つ。問題を直視しようとしない学校側だけでなく、報道側も学校側に追随しているのがなんとも腹立たしい。
「いじめ」とは傷害事件として立憲の難しい言葉や態度などによるものに限定すべきである。
「暴行」は大人であればすぐに刑事事件として立件されるものだ。たまたま児童生徒だからという理由だけで「いじめ」に分類するのはおかしい。はっきり「校内暴力」ないしは「暴行」と位置づけるべきだ。
上記の分類によれば、「いじめ」(大人の世界ではハラスメント)は学校や保護者が主体となって解決すべき問題であろう。いくら心に傷を負ったからと言って即座に警察に被害届を出すのは控えるべきだ。もちろん継続的かつ大きな傷を受けた場合、たとえば自殺した場合などは刑事事件の被害者・加害者となる場合もある。
一方、暴行は一方的な場合とけんかなどの相互的な場合がある。しかし傷害を負えばいずれの場合も傷害罪が成立する。もちろん傷害の程度が小さくて、相互信頼が得られれば示談となり、警察も大目に見て立件しないことはある。しかし明らかに傷害を受けていて話がつかないのなら、被害者は積極的に被害届を提出すべきだ。「他人を傷つけたら警察のお世話になる」「少年院送りになるなど処分を受ける恐れがある」ということを徹底的に子供たちの頭に叩き込んでおくべきことなのだ。それをしていないから「普通の子」が『傷害事件の加害者』になってしまう現状が生まれている。
昔(50年以上前)の自分の子供時代を振り返ってみよう。
昔から悪がき・不良っぽい子はいた。私も2度ばかり殴られた記憶がある。しかし負傷するというようなものでも、繰り返しというようなものでもなかった。単発的な事例にとどまっていた。彼らは「度を過ごせば警察のお世話になる」ことは自覚しながら暴れていたし、だから普通の子は、一方的にあるいは集団で暴力を振るうなどということはまずなかった。
知恵遅れや健康問題などをネタにからかうという典型的な「いじめ」はあったと思う。私も小学校低学年の頃に加担した記憶がある(一度しか思い出せないが・・)。まあ私も「あでこが大きい」とか「女みたいな走り方をする」とかはやし立てられたことはよくある。しかし何れも継続的なものではなかったように思う。
からかわれていた女の子を(やめようと言って)かばったことが2度ほどあって、その子(二人)からすごく頼られるような態度を取られて、照れくさくて困ったことがある。割と些細に思える言葉のいじめでも受けるほうは深刻なんだということ、いじめをやめさせようとすることは「恥ずかしい」「照れくさい」・・だから勇気を要するということ・・・これは時代が変わっても同じだ。
いじめ問題全般を解決するのは一筋縄には行かない。個別の関係者の個別の努力が必要だ。しかし「暴力によって人を傷つければ刑事罰を受ける」ということを子供たちに明示する=楔を打ち込むことは、「いじめ」解決にもよい効果をもたらすのではなかろうか。暴力をいじめから分離しよう!
大津の中学と教育委員会のおバカな対応がきっかけで盛り上がっている。
その中でいじめと暴行を一緒くたにしていることについては腹が立つ。問題を直視しようとしない学校側だけでなく、報道側も学校側に追随しているのがなんとも腹立たしい。
「いじめ」とは傷害事件として立憲の難しい言葉や態度などによるものに限定すべきである。
「暴行」は大人であればすぐに刑事事件として立件されるものだ。たまたま児童生徒だからという理由だけで「いじめ」に分類するのはおかしい。はっきり「校内暴力」ないしは「暴行」と位置づけるべきだ。
上記の分類によれば、「いじめ」(大人の世界ではハラスメント)は学校や保護者が主体となって解決すべき問題であろう。いくら心に傷を負ったからと言って即座に警察に被害届を出すのは控えるべきだ。もちろん継続的かつ大きな傷を受けた場合、たとえば自殺した場合などは刑事事件の被害者・加害者となる場合もある。
一方、暴行は一方的な場合とけんかなどの相互的な場合がある。しかし傷害を負えばいずれの場合も傷害罪が成立する。もちろん傷害の程度が小さくて、相互信頼が得られれば示談となり、警察も大目に見て立件しないことはある。しかし明らかに傷害を受けていて話がつかないのなら、被害者は積極的に被害届を提出すべきだ。「他人を傷つけたら警察のお世話になる」「少年院送りになるなど処分を受ける恐れがある」ということを徹底的に子供たちの頭に叩き込んでおくべきことなのだ。それをしていないから「普通の子」が『傷害事件の加害者』になってしまう現状が生まれている。
昔(50年以上前)の自分の子供時代を振り返ってみよう。
昔から悪がき・不良っぽい子はいた。私も2度ばかり殴られた記憶がある。しかし負傷するというようなものでも、繰り返しというようなものでもなかった。単発的な事例にとどまっていた。彼らは「度を過ごせば警察のお世話になる」ことは自覚しながら暴れていたし、だから普通の子は、一方的にあるいは集団で暴力を振るうなどということはまずなかった。
知恵遅れや健康問題などをネタにからかうという典型的な「いじめ」はあったと思う。私も小学校低学年の頃に加担した記憶がある(一度しか思い出せないが・・)。まあ私も「あでこが大きい」とか「女みたいな走り方をする」とかはやし立てられたことはよくある。しかし何れも継続的なものではなかったように思う。
からかわれていた女の子を(やめようと言って)かばったことが2度ほどあって、その子(二人)からすごく頼られるような態度を取られて、照れくさくて困ったことがある。割と些細に思える言葉のいじめでも受けるほうは深刻なんだということ、いじめをやめさせようとすることは「恥ずかしい」「照れくさい」・・だから勇気を要するということ・・・これは時代が変わっても同じだ。
いじめ問題全般を解決するのは一筋縄には行かない。個別の関係者の個別の努力が必要だ。しかし「暴力によって人を傷つければ刑事罰を受ける」ということを子供たちに明示する=楔を打ち込むことは、「いじめ」解決にもよい効果をもたらすのではなかろうか。暴力をいじめから分離しよう!