キネシオテーピングの効き目
腰と腕の痛みによく効くことがわかったので、キネシオテープは我が家の常備薬だ。腕のほうは完治したようだが、腰はパソコン作業の姿勢によるものなので、しばらくよくなっても再発するので悪くならないうちにテーピングするようにしている。痛んでいる筋肉に沿ってぺたっと貼るだけなので簡単だ。
一昨日は突然足の裏に刺激的な痛みが走ったので、ここにも貼っておいた。この痛みは初めてだが、貼ってからすぐに楽になった(ただし自然治癒かどうかは不明)。
そこで思い出したのが1ヶ月以上続いている五十肩(私の場合はほぼ七十肩?)だ。今まで何回も発症して軽症でしばらくしたら直っていた。今回もすぐ直るだろうと思っていたら長引いていた。腕を特別な位置に持っていかないと痛みはないし、ゴルフにも支障ないので放置していた。それに「関節の磨り減り」が原因だろうと思っていたからだ。ところが調べてみると「五十肩は原因不明の肩関節周囲炎」と書いてある。「ひょっとすると筋肉が痛んでいるのか」と思い、一昨日からキネシオテープを貼っている。8割がた改善したような気がする・・・しばらく続けてみよう。

「名所江戸百景」今昔:「浅草田圃酉の町詣」
今は「酉の市」って言うけど、当時は「酉の町」って言ったんだね。関東地方では11月(今の12月)の酉の日に行われる。吉原の遊郭の格子窓の向こうに見えるのが鷲大明神(今の鷲神社)の酉の市風景・・田圃の畦を歩く参詣者が見える。吉原は参詣客帰りの客で賑わったそうな・・畳には客のお土産なのか、熊手型のかんざしセットが置かれている。
読み解き江戸時代:自由貿易港・ヨコハマ、「自由貿易時代の幕開け」
日米修好通商条約では「神奈川」を開港するとしていたが、「神奈川」とは神奈川宿を意味するもので、ここに外国人が増えて、居留するようになるとトラブルになると恐れた幕府はずっと外れの寒村「横浜」を開港することで押し切った。ここに今に至る横浜の発展の礎がある。
自由貿易はよいことも悪いことももたらした。悪いことの一つは「金の大量流出」であった。日本の金銀比価が欧米より著しく低い(3分の1)が利用されたのだ。条約では「同種同量」換金が謳われており、メキシコドルが一分銀3枚に相当したので、外国人は一分銀に交換した上で、小判に両替して本国に持ち帰って3倍で売って大儲けしたのだ。
街道を行く:日光道中④「越ヶ谷宿~粕壁宿」、中山道38「上松宿」39「須原宿」
三都&町物語:江戸「吾妻橋」、尾張「東照宮」
日光東照宮や家康の故郷の駿河・久能山東照宮のほかにも全国各地に東照宮が建立された。尾張東照宮はもちろん尾張徳川家が造営したものだ。当然御三家の水戸や紀州にもある。東京では上野東照宮がある。そのほか各地にもあるのは徳川家子孫の松平家だけでなく縁戚関係のある外様大名まで競って建立したからだ。
日本全国「藩」事情:「平戸藩」
暮らし大全:「謎の絵師・写楽の時代」「お洒落で粋な『俳句諧』」「きらめきの江戸切子」
東洲斎写楽は寛政年間の10ヶ月の間に140枚余りの役者絵を残して、忽然と消えた。「写楽は一体誰なのか」という謎・・歌麿、北斎など候補者は40人以上に上る。最近では徳島藩蜂須賀家のお抱え能役者「斎藤十郎兵衛」が写楽だというのが定説になりつつあるそうな。
偉人・奇人列伝:「伊東玄朴」
腰と腕の痛みによく効くことがわかったので、キネシオテープは我が家の常備薬だ。腕のほうは完治したようだが、腰はパソコン作業の姿勢によるものなので、しばらくよくなっても再発するので悪くならないうちにテーピングするようにしている。痛んでいる筋肉に沿ってぺたっと貼るだけなので簡単だ。
一昨日は突然足の裏に刺激的な痛みが走ったので、ここにも貼っておいた。この痛みは初めてだが、貼ってからすぐに楽になった(ただし自然治癒かどうかは不明)。
そこで思い出したのが1ヶ月以上続いている五十肩(私の場合はほぼ七十肩?)だ。今まで何回も発症して軽症でしばらくしたら直っていた。今回もすぐ直るだろうと思っていたら長引いていた。腕を特別な位置に持っていかないと痛みはないし、ゴルフにも支障ないので放置していた。それに「関節の磨り減り」が原因だろうと思っていたからだ。ところが調べてみると「五十肩は原因不明の肩関節周囲炎」と書いてある。「ひょっとすると筋肉が痛んでいるのか」と思い、一昨日からキネシオテープを貼っている。8割がた改善したような気がする・・・しばらく続けてみよう。

「名所江戸百景」今昔:「浅草田圃酉の町詣」
今は「酉の市」って言うけど、当時は「酉の町」って言ったんだね。関東地方では11月(今の12月)の酉の日に行われる。吉原の遊郭の格子窓の向こうに見えるのが鷲大明神(今の鷲神社)の酉の市風景・・田圃の畦を歩く参詣者が見える。吉原は参詣客帰りの客で賑わったそうな・・畳には客のお土産なのか、熊手型のかんざしセットが置かれている。
読み解き江戸時代:自由貿易港・ヨコハマ、「自由貿易時代の幕開け」
日米修好通商条約では「神奈川」を開港するとしていたが、「神奈川」とは神奈川宿を意味するもので、ここに外国人が増えて、居留するようになるとトラブルになると恐れた幕府はずっと外れの寒村「横浜」を開港することで押し切った。ここに今に至る横浜の発展の礎がある。
自由貿易はよいことも悪いことももたらした。悪いことの一つは「金の大量流出」であった。日本の金銀比価が欧米より著しく低い(3分の1)が利用されたのだ。条約では「同種同量」換金が謳われており、メキシコドルが一分銀3枚に相当したので、外国人は一分銀に交換した上で、小判に両替して本国に持ち帰って3倍で売って大儲けしたのだ。
街道を行く:日光道中④「越ヶ谷宿~粕壁宿」、中山道38「上松宿」39「須原宿」
三都&町物語:江戸「吾妻橋」、尾張「東照宮」
日光東照宮や家康の故郷の駿河・久能山東照宮のほかにも全国各地に東照宮が建立された。尾張東照宮はもちろん尾張徳川家が造営したものだ。当然御三家の水戸や紀州にもある。東京では上野東照宮がある。そのほか各地にもあるのは徳川家子孫の松平家だけでなく縁戚関係のある外様大名まで競って建立したからだ。
日本全国「藩」事情:「平戸藩」
暮らし大全:「謎の絵師・写楽の時代」「お洒落で粋な『俳句諧』」「きらめきの江戸切子」
東洲斎写楽は寛政年間の10ヶ月の間に140枚余りの役者絵を残して、忽然と消えた。「写楽は一体誰なのか」という謎・・歌麿、北斎など候補者は40人以上に上る。最近では徳島藩蜂須賀家のお抱え能役者「斎藤十郎兵衛」が写楽だというのが定説になりつつあるそうな。
偉人・奇人列伝:「伊東玄朴」