こないだの台風は関東地方には上陸しなかったけど、関東東岸を付かず離れず北上したため、数日の間強い北風に悩まされた。台風のときは南風が多いのでハバネロのプランターを東側の陰に避難させたつもりが風の通り道になってしまい大失敗・・・葉が全部なくなったわけでもないので何とか回復してくれ。同じく東側のゴーヤもかなり葉がちりちりになったけど、どうにか「緑のカーテン」状態は維持している。しかし生育中の実が支柱に何度も打ち付けられたらしく、大きく凹んでしまった。それでも来週には初収穫になると思う。
「藍」も「なでしこ」から元気をもらった? サッカー日本男女のユニフォームはジャパンブルーと称されるが日本語で書くと「日本藍」。藍ちゃんも2年ぶりのエビアン優勝で調子に乗れるかな。全英女子オープン、がんばれ!
ところで木戸愛は我がハイランド1丁目出身(在住?)の女子プロゴルファー、今年4年目の21歳はようやくシード権が取れそう。小さい頃はよくバッグを担いでハイランドゴルフ練習場に通っていた。因みに「愛」は「あい」ではなくて「めぐみ」・・。東北高校では藍ちゃんの後輩だ。
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「名所江戸百景」今昔:「五百羅漢さざゐ堂」
羅漢寺は今は目黒に移転しているが、当時は今の江東区の明治通りと新大橋通りの交差点付近にあったらしい。五百羅漢は文字通り500体の羅漢像のことで、螺旋状の回廊を登りながら順に参拝する仕組みになっている。それがちょうどさざえのような形なので「さざえ堂」と呼ばれ、全国に数多く建てられた。「さざゐ」は江戸訛り・・。
  
読み解き江戸時代:井伊直弼による粛清-安政の大獄-、「幕府への反抗は許さぬ!」
「将軍家に歯向かう者を問答無用で弾圧」・・・これは後になって歴史を振り返れば「独裁政権の末期症状」であったのだろう。そう言えば今「北」の独裁政権も・・・。「安政の大獄」で処刑された吉田松陰・・「松下村塾」の教え子たちが立ち上がり、長州藩士たちは明治維新の立役者となった。
    
街道を行く:日光道中③「草加宿~越ヶ谷宿」、中山道36「宮ノ越宿」37「福島宿」
  
三都&町物語:江戸「神田佐久間町」、阿波「徳島」
「ジャパンブルー」とは今ではサッカー日本代表のユニフォームの通称だが、新しい言葉ではない。明治になってイギリスの化学者アトキンソンが名付け、藍を称賛した。ラフカディオ・ハーンも「日本は神秘的なブルーに満ちた国」と絶賛した。「青」というのは青信号などに言われるように「緑」も含んだ概念であったため、特にブルーを表すためには「藍」が用いられた。徳島は藍の名産地で、「阿波25万石、藍50万石」と謳われ、米よりもずっと藩の財政に大きく貢献した。
  
日本全国「藩」事情:「明石藩」
 
暮らし大全:「江戸市中が静まった将軍の逝去」「仲間で楽しむ笑いの文芸、狂歌」「名女形が生んだ『路考ブーム』」
二代目瀬川菊之丞・・・王子に生まれ、俳号を路考と称したことから「王子路考」と呼ばれた、歌舞伎の女形だった。ほっそりした体形で娘役を演じ、ファッションリーダーとして若い娘たちのあこがれの的だった。江戸時代を通じて人気となったカラー「路考茶」、太鼓結びの原型とも言われる帯の「路考結」、さらには「路考髷」、「路考櫛」など菊之丞が用いた物は何でもヒット商品になった。
  
偉人・奇人列伝:「鼠小僧次郎吉」
次郎吉は実在の盗賊だった。大名や旗本の屋敷に忍び込んでは大金を盗み、貧しい人々に施しをする「義賊」・・が芝居や講談での人物像だ。大名屋敷を専門にしたことは事実らしいが、「義賊」は作り話のようで、盗んだ金のほとんどを博打と酒と女に使ったらしい。