やったね!なでしこJAPAN
日本の女子は強い!・・我が家の女子も早く寝て早起きしてテレビ観戦。軟弱な男子は普通に睡眠・・でも5時ごろ目覚めてうとうとしていたら、「やったぁ」と大きな声がしたので起床。勝ち越したのかと思ったら同点だったけど、それからテレビに釘付け。延長でワンバックにやられてしまったが、宮間-澤のホットラインがまたしてもやってくれた。PK戦はメンタルで勝っていたね。
なでしこは秋の七草の一つ、初秋にピンクの可愛い花を咲かせる。撫子と書くのは、その字の通り「可愛がっている子供」のことだ。そして大和撫子(やまとなでしこ)は元々は唐撫子(からなでしこ)に対する日本での総称だったが、日本の女性の美称になっていった。しかし当初はやはり子供のこと・・つまり小娘のことだった。つまり小娘のようにか弱いように見えてりりしい・・・という意味だね。立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花・・・これも日本女性の美称だが、こちらは大人の女性のしとやかさを表している。NADESHIKOは日本だけでなく世界に通じる「しなやかで強い日本女性」の美称になろうとしている。
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「名所江戸百景」今昔:「佃しま住吉の祭」
大坂佃村の漁民が干潟を拝領して埋め立て(干拓?)してできたのが佃島・・そこで生まれたのが佃煮・・・ということで、佃煮のルーツは江戸説と大坂説に分かれる。佃村の住吉神社を分社して建てられた、江戸の住吉神社(住吉大明神)は海岸にあって、航海や漁・・船の安全を守る神として信仰を集めた。今まさに八角形の神輿が海に入る海中渡御が始まろうとしている。
  
読み解き江戸時代:一橋派VS.南紀派-将軍継嗣を巡る派閥闘争-、「2つの派閥が大激突」
十三代将軍家定は篤姫を正室に迎えて「政局の安定」を図ったが、家定が病弱で、世継がいなかったことから、政争が勃発・・・。
    
街道を行く:日光道中②「千住宿~草加宿」、中山道35「藪原宿」
ある茶屋でおせんという婆さんが団子を売っていたが売れ残ると川に捨てていた。それをみたある侍が「もったいない、つぶして乾かして焼餅にして売れば」と助言したのが「草加せんべい」の始まり・・多分作り話だけど・・。
信州から信濃川の上流奈良井川沿いに中山道が進み、鳥居峠を越えると藪原宿・・・ここから中山道は木曾川沿いを下ることになる。中山道最大の難所鳥居峠は日本海に流れる信濃川水系と太平洋に流れる木曽川水系の分水嶺なのだ。
  
三都&町物語:江戸「芝口」、難波「難波」
芝口は今の新橋・・と言っても元々汐留川にかかっていた橋が新橋で、その後芝口御門が作られたので芝口橋に改称されたのだ。維新後に新橋停車場が作られ、新橋横浜間に鉄道が開通したので、俗称としては残っていた新橋の名が正式に復活した。
  
日本全国「藩」事情:「松山藩」
 
暮らし大全:「暑さを吹き飛ばす夏祭り」「遊びの『釣り』は江戸生まれ」「全国でつくられた多彩なやきもの」
釣りの発展に欠かせないのが江戸時代に発見(発明?)されたテグス・・・テグスサンという蛾の幼虫の体内から取り出した糸だって!・・・中国船が朝鮮人参を日本に持ってくるときに荷造り用に使用していたらしい。ある漁師が見つけて釣りに使ってみたところ、水の中で透明になるので釣りに最適であることが分った。テグスサンは蚕と同じように糸を吐くのだが。それを作る絹糸腺を幼虫から取り出し、酢に浸けてすばやく引き延ばして陰干しして作るんだって。貴重なものだから当然釣り針の近くの「ハリス」に使われ、竿の側の「道糸」には絹・麻の糸や馬の尻尾の毛などが使われた。  
偉人・奇人列伝:「大野弁吉」