梅雨明けで毎日暑いね。しかしこのあたりは梅雨が明ける前からほとんど降っていない。
こんな日照り続きに大活躍するのが我が家の雨水タンクだ・・。
「雨が降らなきゃ無用の長物だろう」って・・・どっこいそうじゃないんだ。
雨水タンクは雨樋からのドレンをカットして雨水を溜め、溢れたら下水に流す・・という構造になっているが、この雨水が雨水タンクに入る前にビニールホースを合流させ、その先に風呂水ポンプが付けられるようになっているのだ。
我が家では風呂水の残り水は洗濯に使っている。これは洗濯機のポンプで吸い上げる。でも100リットルくらいは残る。これを外付けのポンプで雨水タンクに送り込んでいるのだ。我が家のタンク容量は80リットルなので十分な量だ。雨が降っても80リットル以上は下水行きなので、大雨の雨水を溜めることはできない。というわけで雨水タンクの水は8割がた風呂の残り水ということなのだ。
雨が降らないと庭や畑がからからになるので、毎日のように水やりが必要になる。という訳で私の体の垢も肥料の代わりとなっている(笑)。雨が降ったら水やりは必要ないので、結局水やりはほとんど残り水なのだ。
雨が降りそうなときは入浴剤を使って、残り湯は捨てる。洗濯にも植物にも成分が好ましくないからだ・・。雨水タンクはあふれるし・・ね。

「名所江戸百景」今昔:「上野山した」
上野寛永寺の「黒門」前の風景・・・この店は伊勢屋・・しそめし(志楚と変体仮名で書かれている)が名物の料理屋らしい。蕎麦屋などにしても看板には変体仮名がよく用いられた。今よりかなの種類が豊富で、おそらくデザイン的に好ましい仮名が選ばれたのだと思う。文章などに使われる変体仮名は出てくるたびに同じ音に違う字があてられていることがあり、それも当時のスタイルだったようだ。
読み解き江戸時代:薩摩からの花嫁・篤姫、「揺れる幕府に嫁いだひとりの花嫁」
十二代将軍徳川家定は18歳で最初の結婚・死別(任子)、26歳で再婚・死別(秀子)・・そして33歳で篤姫と再婚したのだ。公家の姫たちは早世してしまったので「健康で長生きしそうな武家の娘」を正室に迎えたかったのだが、これが島津家の思惑と一致した。結果的には篤姫は期待通り?明治時代まで(80歳近くまで)長生きした。
街道を行く:日光道中①「日本橋~千住宿」、中山道34「奈良井宿」
三都&町物語:江戸「筋違門」、相模「大山」
伊勢など関西にお参りするのは大変で、お金も時間もたっぷり必要だったが、相模は江戸の近くで日光などと並んで信仰・観光・グルメ旅行の行先としてはぴったりだった・・・概ね数日から1週間が多かった。大山詣りと江の島弁天をセットにしたツアー(団体旅行や夫婦旅)は大人気であった。
日本全国「藩」事情:「安中藩」
暮らし大全:「幕末歌舞伎の華麗なワルたち」「不思議建築『さざえ堂』」「世相を映す見立番付」「幕末の剣術道場」
「白浪五人男」の白浪って「泥棒」を意味するもので中国の故事によるんだって・・。「三人吉三」や「鼠小僧次郎吉」「石川五右衛門」も典型的な「白浪」だね。
偉人・奇人列伝:「勝小吉」
小吉は麟太郎のつまり勝海舟の父親だった。まったく型破りの不良旗本であまりの素行の悪さに父親は座敷牢に閉じ込めた。麟太郎は小吉が座敷牢にいたときに生まれた。小吉は14歳のとき放浪中に睾丸に怪我をしているが、麟太郎も9歳のとき犬に睾丸を噛まれて死にそうになった・・なんという親子だ。
こんな日照り続きに大活躍するのが我が家の雨水タンクだ・・。
「雨が降らなきゃ無用の長物だろう」って・・・どっこいそうじゃないんだ。
雨水タンクは雨樋からのドレンをカットして雨水を溜め、溢れたら下水に流す・・という構造になっているが、この雨水が雨水タンクに入る前にビニールホースを合流させ、その先に風呂水ポンプが付けられるようになっているのだ。
我が家では風呂水の残り水は洗濯に使っている。これは洗濯機のポンプで吸い上げる。でも100リットルくらいは残る。これを外付けのポンプで雨水タンクに送り込んでいるのだ。我が家のタンク容量は80リットルなので十分な量だ。雨が降っても80リットル以上は下水行きなので、大雨の雨水を溜めることはできない。というわけで雨水タンクの水は8割がた風呂の残り水ということなのだ。
雨が降らないと庭や畑がからからになるので、毎日のように水やりが必要になる。という訳で私の体の垢も肥料の代わりとなっている(笑)。雨が降ったら水やりは必要ないので、結局水やりはほとんど残り水なのだ。
雨が降りそうなときは入浴剤を使って、残り湯は捨てる。洗濯にも植物にも成分が好ましくないからだ・・。雨水タンクはあふれるし・・ね。

「名所江戸百景」今昔:「上野山した」
上野寛永寺の「黒門」前の風景・・・この店は伊勢屋・・しそめし(志楚と変体仮名で書かれている)が名物の料理屋らしい。蕎麦屋などにしても看板には変体仮名がよく用いられた。今よりかなの種類が豊富で、おそらくデザイン的に好ましい仮名が選ばれたのだと思う。文章などに使われる変体仮名は出てくるたびに同じ音に違う字があてられていることがあり、それも当時のスタイルだったようだ。
読み解き江戸時代:薩摩からの花嫁・篤姫、「揺れる幕府に嫁いだひとりの花嫁」
十二代将軍徳川家定は18歳で最初の結婚・死別(任子)、26歳で再婚・死別(秀子)・・そして33歳で篤姫と再婚したのだ。公家の姫たちは早世してしまったので「健康で長生きしそうな武家の娘」を正室に迎えたかったのだが、これが島津家の思惑と一致した。結果的には篤姫は期待通り?明治時代まで(80歳近くまで)長生きした。
街道を行く:日光道中①「日本橋~千住宿」、中山道34「奈良井宿」
三都&町物語:江戸「筋違門」、相模「大山」
伊勢など関西にお参りするのは大変で、お金も時間もたっぷり必要だったが、相模は江戸の近くで日光などと並んで信仰・観光・グルメ旅行の行先としてはぴったりだった・・・概ね数日から1週間が多かった。大山詣りと江の島弁天をセットにしたツアー(団体旅行や夫婦旅)は大人気であった。
日本全国「藩」事情:「安中藩」
暮らし大全:「幕末歌舞伎の華麗なワルたち」「不思議建築『さざえ堂』」「世相を映す見立番付」「幕末の剣術道場」
「白浪五人男」の白浪って「泥棒」を意味するもので中国の故事によるんだって・・。「三人吉三」や「鼠小僧次郎吉」「石川五右衛門」も典型的な「白浪」だね。
偉人・奇人列伝:「勝小吉」
小吉は麟太郎のつまり勝海舟の父親だった。まったく型破りの不良旗本であまりの素行の悪さに父親は座敷牢に閉じ込めた。麟太郎は小吉が座敷牢にいたときに生まれた。小吉は14歳のとき放浪中に睾丸に怪我をしているが、麟太郎も9歳のとき犬に睾丸を噛まれて死にそうになった・・なんという親子だ。