地デジ用のUHFアンテナを取り替えた。結論的にはさほど性能向上せずがっかり・・。
ここは風が強いので20数年前にアンテナを屋根上に設置するのはやめて屋根裏に設置している。東京タワー方向が見通しの高台なのでアンテナを高くする意味はあまりない。しかし距離が遠いのと海上伝播のせいかマルチパスのせいかアナログのときから受信状態はあまりよくない。地デジになってから受信状態がギリギリなのでブースターを購入した。安定受信できるようになったがさほど高レベルでもなく、たとえば東京MXはあまり調子よくない。TV千葉やTV埼玉は受信できない。
アンテナを高感度型に換えればブースターが不要になるかもしれないという期待で、新品を購入し、交換してみた。ついでにアナログ用のVHFアンテナは片付けた。
若干レベルアップしたようだが、残念ながらブースター不要にはならず、ブースターを入れても千葉・埼玉は全くダメだった。どうも海上伝播で劣化しているようだ。ただ電波が弱くなっているだけならブースター使用で千葉・埼玉も受信できるはずだが・・。S/Nの悪い信号をいくら増幅してもノイズも増幅してしまうからダメらしい。
因みにこれまで使用していた(以前はTVKアナログ放送受信用に使用していた)UHFアンテナを2階の室内の天井下にぶら下げて2メートル程のケーブルで受信してみたところブースターなしでギリギリ使える(なぜか4チャンネルだけが不安定)。つまり長い室内配線による(途中でのノイズ混入による)劣化を防止するのにブースターは役立っているみたいだ。

「名所江戸百景」今昔:「神田紺屋町」
染物屋の屋根の上の干し場で干している布の間から富士を望む。中央の布の「魚」という字は、名所江戸百景の版元魚屋栄吉を表しており、その向こうの□の中にヒが描かれている模様は「ヒロ」即ち歌川広重本人を表す文様だ。こんな布が大量に売られていたはずもなく、多分署名代わりに描き入れたのだろう。
読み解き江戸時代:内憂外患時代の幕開け-天保の改革-、「幕府の威信は取り戻せるのか?」
十一代将軍家斉の大御所時代までの「ぜいたく」で幕府は財政破綻状態・・家斉の死後、家斉の次男で十二代将軍の家慶はすぐさま水野忠邦に「天保の改革」に取り組ませた。松平定信の「寛政の改革」の再現を目指すが、あまりにも厳しく身勝手な改革のため庶民や越後屋などの大商人も疲弊・・・幕府内対立も起きて頓挫した。いくら財政が厳しいからと言っても禁欲的な質素倹約だけでは世の中はよくならない・・今、日本の政府は同じような危機に瀕している?
節電、節電とバカの一つ覚え・・・電力不足にならない夜10時以降に明るいイベントをやって、世の中を文字通り明るくしたらどうだ!
街道を行く:甲州道中⑳「蔦木宿~金沢宿」、中山道30「塩尻宿」
塩尻という地名は太平洋からの塩と日本海からの塩が到達する最終地点であったことに由来しているんだって・・・へえええええ。
三都&町物語:江戸「早稲田」、甲斐「久遠寺」
早稲田は蛍狩りの名所・・江戸の人々は蛍を家に持ち帰ってその光を楽しんだ。そう言えば、子供の頃夏になると蛍狩りをして家で蚊帳の中に放って楽しんだなぁ。60年前は江戸時代とあまり変わりなかった?エアコンも冷蔵庫もテレビも洗濯機もなかったなぁ。
身延山久遠寺は去年桃の花を見に山梨に行ったとき立寄った。日蓮が9年間身延山にこもって「法華経」を極め、久遠寺を建立したのだ。
日本全国「藩」事情:「島原藩」
暮らし大全:「大坂の淀川、京の鴨川」「田植えは初夏の風物詩」「江戸時代に生まれた箪笥」
箪笥ができる前は「長持」が使われた。火事の多い江戸では持ち出しやすい、車輪付きの「車長持」が流行した。ところが明暦の大火のとき道路は車長持で渋滞し、大勢の焼死者を出した。その後大都市では車長持の製造・販売は禁止された。・・・大地震・大津波のときは自動車を捨てて逃げよう!
その後普及した箪笥を一竿、二竿と数えるのは箪笥に竿通しの金具が付いていて、竹竿で担いで運んだことに由来するらしい。
偉人・奇人列伝:「鷹見泉石」
ここは風が強いので20数年前にアンテナを屋根上に設置するのはやめて屋根裏に設置している。東京タワー方向が見通しの高台なのでアンテナを高くする意味はあまりない。しかし距離が遠いのと海上伝播のせいかマルチパスのせいかアナログのときから受信状態はあまりよくない。地デジになってから受信状態がギリギリなのでブースターを購入した。安定受信できるようになったがさほど高レベルでもなく、たとえば東京MXはあまり調子よくない。TV千葉やTV埼玉は受信できない。
アンテナを高感度型に換えればブースターが不要になるかもしれないという期待で、新品を購入し、交換してみた。ついでにアナログ用のVHFアンテナは片付けた。
若干レベルアップしたようだが、残念ながらブースター不要にはならず、ブースターを入れても千葉・埼玉は全くダメだった。どうも海上伝播で劣化しているようだ。ただ電波が弱くなっているだけならブースター使用で千葉・埼玉も受信できるはずだが・・。S/Nの悪い信号をいくら増幅してもノイズも増幅してしまうからダメらしい。
因みにこれまで使用していた(以前はTVKアナログ放送受信用に使用していた)UHFアンテナを2階の室内の天井下にぶら下げて2メートル程のケーブルで受信してみたところブースターなしでギリギリ使える(なぜか4チャンネルだけが不安定)。つまり長い室内配線による(途中でのノイズ混入による)劣化を防止するのにブースターは役立っているみたいだ。

「名所江戸百景」今昔:「神田紺屋町」
染物屋の屋根の上の干し場で干している布の間から富士を望む。中央の布の「魚」という字は、名所江戸百景の版元魚屋栄吉を表しており、その向こうの□の中にヒが描かれている模様は「ヒロ」即ち歌川広重本人を表す文様だ。こんな布が大量に売られていたはずもなく、多分署名代わりに描き入れたのだろう。
読み解き江戸時代:内憂外患時代の幕開け-天保の改革-、「幕府の威信は取り戻せるのか?」
十一代将軍家斉の大御所時代までの「ぜいたく」で幕府は財政破綻状態・・家斉の死後、家斉の次男で十二代将軍の家慶はすぐさま水野忠邦に「天保の改革」に取り組ませた。松平定信の「寛政の改革」の再現を目指すが、あまりにも厳しく身勝手な改革のため庶民や越後屋などの大商人も疲弊・・・幕府内対立も起きて頓挫した。いくら財政が厳しいからと言っても禁欲的な質素倹約だけでは世の中はよくならない・・今、日本の政府は同じような危機に瀕している?
節電、節電とバカの一つ覚え・・・電力不足にならない夜10時以降に明るいイベントをやって、世の中を文字通り明るくしたらどうだ!
街道を行く:甲州道中⑳「蔦木宿~金沢宿」、中山道30「塩尻宿」
塩尻という地名は太平洋からの塩と日本海からの塩が到達する最終地点であったことに由来しているんだって・・・へえええええ。
三都&町物語:江戸「早稲田」、甲斐「久遠寺」
早稲田は蛍狩りの名所・・江戸の人々は蛍を家に持ち帰ってその光を楽しんだ。そう言えば、子供の頃夏になると蛍狩りをして家で蚊帳の中に放って楽しんだなぁ。60年前は江戸時代とあまり変わりなかった?エアコンも冷蔵庫もテレビも洗濯機もなかったなぁ。
身延山久遠寺は去年桃の花を見に山梨に行ったとき立寄った。日蓮が9年間身延山にこもって「法華経」を極め、久遠寺を建立したのだ。
日本全国「藩」事情:「島原藩」
暮らし大全:「大坂の淀川、京の鴨川」「田植えは初夏の風物詩」「江戸時代に生まれた箪笥」
箪笥ができる前は「長持」が使われた。火事の多い江戸では持ち出しやすい、車輪付きの「車長持」が流行した。ところが明暦の大火のとき道路は車長持で渋滞し、大勢の焼死者を出した。その後大都市では車長持の製造・販売は禁止された。・・・大地震・大津波のときは自動車を捨てて逃げよう!
その後普及した箪笥を一竿、二竿と数えるのは箪笥に竿通しの金具が付いていて、竹竿で担いで運んだことに由来するらしい。
偉人・奇人列伝:「鷹見泉石」