結婚式には大安が吉日で、仏滅は避けるべき・・・先勝は午前中が吉で、先負は午後が吉・・友引はまあまあいいけど赤口はあまりよくない・・などと言われているね。
これらはあの安倍晴明で有名な陰陽道の「六曜」に基づいている。元は中国から伝わったものだ。六曜(先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口)は太陽暦の七曜(日月火水木金土)に似ている、太陰暦の曜日のようなものだ。もちろん陰陽師たちは六曜だけでなくさまざまなことに基づいて「占い」を行った。科学の発達していない当時は政治活動などにおいて「占い」が重要な判断根拠になった。古代倭の女王卑弥呼は明らかに祈祷、占いの力で権力を得ていった。
太陰暦は月の満ち欠けに基づくものだから、六曜による占いは一種の天体占いでもある。
陰陽道も現代では非科学的な迷信とされるが、近年の六曜解釈は昔の解釈とは似ても似つかない勝手な解釈になっていて、「迷信の誤用」に近い。
昔は即吉→共引→周吉→虚亡→泰安→赤口で赤口以外は字が変わっている(さらに諸説あり)。たとえば「大安」が「泰安」であったころ、「吉日」とか「祝い事によい」という意味はなく、「静かにしておくのがよい、何もしないのがよい」日だった。
江戸時代になって庶民が暦を見るようになり、生活が豊かになると暦に暦注が書かれるようになり、その多くは「その日の吉凶」に関するものであった。ただし六曜がメインであったわけではない。
明治になって政府は太陰暦から太陽暦への移行に際して、迷信を社会から一掃するため、暦に吉凶占いを入れることを禁じた。しかし旧暦の日付と六曜は暦注として残った。なぜなら六曜は曜日のようなもので、それ自体に吉凶の意味はなかったからである。
しかし、そのこと(暦の中で神秘的なものは六曜だけ)が逆に「六曜による吉凶占い」を発展させることになってしまう。さらに庶民がさまざまな行事の実施可否をを六曜を重視して決めるのが普及したのは実に戦後のことなのである。つまり「六曜による吉凶占い」は迷信の中でも新顔なのだ。
江戸時代から明治にかけて六曜が吉凶占いに使われたのは、多くは勝負事(賭け事)、遊び人の世界であった。たしかに一か八か(丁か半か)の世界では(科学的には偶然としか言いようがなく)判断根拠を持つことができない。
たとえば先負(長女の結婚式は先負だが午後なので大丈夫ということになる)についての解釈は当初「勝負事や急用は避ける」「争いや訴訟は避ける」と言われていた。そりゃそうだ、以前は周吉(あるいは小吉)と書かれ、むしろ吉日だったし、先とか負とかの意味は全くなかったのだ。つまり字が変わることで字面に合わせた解釈が生まれ、新しい解釈(先んずれば即ち負ける)のほうが優勢になっていったのだ。
六曜は太陰暦(旧暦)の日付に一対一に対応する。元日は毎年先勝なのだ。仏滅に生まれた人の誕生日は死ぬまで仏滅だった。昔は歳を取るのは誕生日ではなく正月だったので、誕生祝をしたかどうかは知らないけど・・・。
因みに釈迦は占いを禁じていたし、親鸞も「日の吉凶を選ぶことはよくない」と説いていて、仏滅という言葉も含めて六曜は仏事(仏教)とは全く関係ない。
これらはあの安倍晴明で有名な陰陽道の「六曜」に基づいている。元は中国から伝わったものだ。六曜(先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口)は太陽暦の七曜(日月火水木金土)に似ている、太陰暦の曜日のようなものだ。もちろん陰陽師たちは六曜だけでなくさまざまなことに基づいて「占い」を行った。科学の発達していない当時は政治活動などにおいて「占い」が重要な判断根拠になった。古代倭の女王卑弥呼は明らかに祈祷、占いの力で権力を得ていった。
太陰暦は月の満ち欠けに基づくものだから、六曜による占いは一種の天体占いでもある。
陰陽道も現代では非科学的な迷信とされるが、近年の六曜解釈は昔の解釈とは似ても似つかない勝手な解釈になっていて、「迷信の誤用」に近い。
昔は即吉→共引→周吉→虚亡→泰安→赤口で赤口以外は字が変わっている(さらに諸説あり)。たとえば「大安」が「泰安」であったころ、「吉日」とか「祝い事によい」という意味はなく、「静かにしておくのがよい、何もしないのがよい」日だった。
江戸時代になって庶民が暦を見るようになり、生活が豊かになると暦に暦注が書かれるようになり、その多くは「その日の吉凶」に関するものであった。ただし六曜がメインであったわけではない。
明治になって政府は太陰暦から太陽暦への移行に際して、迷信を社会から一掃するため、暦に吉凶占いを入れることを禁じた。しかし旧暦の日付と六曜は暦注として残った。なぜなら六曜は曜日のようなもので、それ自体に吉凶の意味はなかったからである。
しかし、そのこと(暦の中で神秘的なものは六曜だけ)が逆に「六曜による吉凶占い」を発展させることになってしまう。さらに庶民がさまざまな行事の実施可否をを六曜を重視して決めるのが普及したのは実に戦後のことなのである。つまり「六曜による吉凶占い」は迷信の中でも新顔なのだ。
江戸時代から明治にかけて六曜が吉凶占いに使われたのは、多くは勝負事(賭け事)、遊び人の世界であった。たしかに一か八か(丁か半か)の世界では(科学的には偶然としか言いようがなく)判断根拠を持つことができない。
たとえば先負(長女の結婚式は先負だが午後なので大丈夫ということになる)についての解釈は当初「勝負事や急用は避ける」「争いや訴訟は避ける」と言われていた。そりゃそうだ、以前は周吉(あるいは小吉)と書かれ、むしろ吉日だったし、先とか負とかの意味は全くなかったのだ。つまり字が変わることで字面に合わせた解釈が生まれ、新しい解釈(先んずれば即ち負ける)のほうが優勢になっていったのだ。
六曜は太陰暦(旧暦)の日付に一対一に対応する。元日は毎年先勝なのだ。仏滅に生まれた人の誕生日は死ぬまで仏滅だった。昔は歳を取るのは誕生日ではなく正月だったので、誕生祝をしたかどうかは知らないけど・・・。
因みに釈迦は占いを禁じていたし、親鸞も「日の吉凶を選ぶことはよくない」と説いていて、仏滅という言葉も含めて六曜は仏事(仏教)とは全く関係ない。