昨日の地震以降どこにも行っていないので付近の様子はよくわからない。
いずれにしても我が家は人的被害も物的被害もなく無事だった。
東京で仕事をしていた長男と長女も無事で、長男は深夜帰途についたが鳩ヶ谷まで数時間かかったそうで、長女は会社に泊まって翌朝横浜に電車で帰った。

我が家の揺れは私の経験では最大で、いつ何かが倒れてもおかしくないと心配しながら居間に残っていた。妻に声をかけても返事がないので心配したが、近くのゴミ集積所で当番の掃除をしていた。

地震を感じる直前、テレビのキャスターが「地震のようです」と言い、ここが揺れ始めるといきなり停電した。すぐに回復するだろうとタカをくくっていたが、結局午前1時まで停電は続いた。停電は横須賀市でも南部そしてその南の三浦市などのようだった。窓から見える浦賀や横浜方面には街の明かりが見えた。

久里浜港と千葉の金谷港を結ぶ東京湾フェリーもすぐに欠航になったようだ。この日館山でゴルフをしていた知人たちは電車もフェリーも(アクアラインを含め)高速道路もストップしたため帰れなくなった。海岸のゴルフ場で、地震後も5ホールプレイしたというのだから恐れ入る。ゴルフ場の従業員も自分の避難でカートへの無線連絡をしなかったらしい。いずれにしても翌日千葉駅までバスで送ってもらい電車で帰ってきた。夕方にはフェリーも運航するようになったらしい。

三浦は館山などと同じくせいぜい1.5メートル程度の津波で被害はなかったようだ。千葉でも銚子の近くでは結構水が上がってきたらしいので、紙一重の差だったかも・・。我が家はもちろん高台にあるので津波に関しては全く心配ない。

我が家は築30年くらいの鉄骨プレハブだが、まずまずの耐震性を示した。それともこの辺の地盤が固いからかな?

我が家はガスのないオール電化なので、料理は非常用に買っておいたカセットコンロを使用・・・ずいぶん前に買って以来初めての使用だ。ろうそくの灯りのもとで鍋料理を食べたので、何をつかんでいるのかよく分からず、文字通り「闇鍋」となった。

廊下のコンセントに挿していた非常灯(普段はアルカリ電池に充電していて停電時に明かりがつく)は予定通り作動したが、何と1時間もしないうちに消えてしまった。電池が劣化していたらしい。たまにはテストしないといけないね。懐中電灯の電池は腐っていて、予備の電池はない(よく使う単3はあるけど単1が少ない)し、情報を得ようとラジオを探したがAC電源で使うラジカセしかなかった。パソコンは電池でも動くがモデムが止まるのでインターネット情報も得られない。携帯電話のテレビとインターネットは使えるがすぐに電池がなくなりそうで心配・・。一応乾電池で使えるアダプター(旅行用に用意していた)も持っていたけど・・。いろいろな意味でいい防災訓練になった。