このところインターネット(特に大きなファイルのダウンロード)が遅くなっていた問題が解決した。「インターネット一時ファイルの削除」などさまざまな対策に効き目がなく、困り果てていた。ふと思いついて、速度計測サイトで調べてみたら速度が十分の一以下になっているではないか!!
そこでヤフーBBのサポートセンターにネットで問い合わせてみたところ、翌日には「通信機器の調整を実施」した旨メールがあった。確認してみたところ、3.5Mbpsくらいあって元に戻っていた(因みに契約は8Mbps)
。「言ってみるもんだ」と思った次第。
私の経験からすれば「通信機器の調整」とは「通信機器の再起動」のはずだ。わざわざ局まで出かけて調整するには時間がかかるはずだ。最近のコンピュータはなんだか分からない不具合が多く、多くの場合電源を切って入れなおせば元に戻る・・・。

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「名所江戸百景」今昔:「月の岬」
この絵の舞台は品川で、品川宿の旅籠・妓楼「相模屋」の座敷から月見をしているところらしい。。
 
読み解き江戸時代:松の廊下刃傷事件-忠臣蔵・前編-、「綱吉、激怒!」
元禄14年3月14日、2日前から朝廷からの勅使・院使が年頭挨拶への返礼のために江戸城に来ていた。綱吉は「勅使奉答の儀」で返礼を述べ、改めて母桂昌院を「従一位」叙任を奏上する積りだった。そこに松の廊下の刃傷事件が伝えられたものだから、綱吉は激怒し吟味することもなく勅使供応役浅野内匠頭長矩に即日切腹を命じた。
刃傷に及んだ理由(原因)は諸説あってはっきりしない・・吉良上野介にいじめられたにせよ、浅野内匠頭が「KY」であったことは否めない・・・そしてあまりにもタイミングが悪すぎた。タイミングと場所さえわきまえれば、「喧嘩両成敗」になり、「討ち入り」はなかったかもしれない・・。
 
街道を行く:人気観光スポット③草津温泉、東海道36「赤坂宿」
江戸時代の本には「草津は臭水(くそうづ)の義」と書かれている、硫黄が強く臭う湯だったからだ。家康に仕えた林羅山は草津・有馬・飛騨湯島(下呂)を日本三名泉と称えた。
赤坂宿の浄泉寺には樹齢約260年の蘇鉄があり、明治の中ごろ旅籠屋の「清須屋」あるいは「大橋屋」から移されたと伝わる。広重の「東海道五十三次:赤坂旅舎招婦ノ図」の中央庭には蘇鉄が描かれており、これが今浄泉寺にある蘇鉄と同一のものらしい。

三都&町物語:江戸「番町界隈」、武蔵「川越」
内堀の半蔵門・田安門、外堀の四谷門・牛込門に囲まれる一帯は、家康が将軍警護役「大番組」の旗本に与えられたところで、そこから「番町」と呼ばれるようになった。
知恵伊豆と呼ばれた老中松平伊豆守信綱が藩主を務めた川越藩・・「川越まつり」は信綱が氷川神社に神輿と獅子頭を寄進したことに始まると伝わる。

日本全国「藩」事情:「佐倉藩」
佐倉と言えば「千葉の片田舎」のイメージがあるが、当時は「江戸防衛の要」「房総最大の城下町」で徳川一族や譜代大名が藩主を務め、老中・大老などの幕閣の中心人物を多く輩出した。

暮らし大全:「夜を演出する灯り」「驚愕の大食い選手権」「やっちゃ場のにぎわい」
蝋燭や蝋燭を使った提灯が普及するのは江戸中期以降。それまでは行灯が主流・・・台の上の火皿に灯油(ともしあぶら)を注ぎ、これに浸した灯心に火を灯す灯台(ともしだい)、これを火袋で覆ったもの・・で「行」という字は「携行」の意味だった。灯油には胡麻油、荏油、菜種油、綿実油、魚油(鯨油、鰯油)が使われたが、庶民は安い魚油を使用したため「臭かった」らしい。
両国柳橋の万八楼では大酒・大食い大会が開催され、35リットルの酒を飲んだ男、饅頭50個・羊羹7棹・薄皮餅30個・茶19杯を平らげた男、飯68杯・醤油2合?を食べた男などの記録が残る。
「やっちゃ場」とは「青物市場」のこと・・・競りの掛け声が「ヤッチャ、ヤッチャ」だったという説と、八辻茶屋に由来するという説がある。江戸三大やっちゃ場とは神田・駒込・千住で京橋・本所を加えると五大やっちゃ場と言われた。

偉人・奇人列伝:「安島直円」
関孝和と並び称される「和算」の大家だが、こちらは教科書に出てきたかなぁ。「和算中興の祖」とも呼ばれ、関孝和と並ぶ「和算の二大焦点」とも言われた。焦点?って何だろう。辞書を引いても人間のことを示す意味は出てこない。