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「名所江戸百景」今昔:「両国花火」
「橋の上 玉や玉やの 声ばかり なぜに鍵やと いわぬ情なし」・・・どうやら、鍵屋より玉屋の方が人気があったみたいだ。川開きの日と納涼期間中の数回、大花火が行われ、普通の日は「花火舟」が「見物舟」の間を漕いで回って、注文に応じて花火を打ち上げたんだって・・。

読み解き江戸時代:元禄文化の幕開け、「原動力は町人パワー」
元禄文化は大坂が発祥・・・なるほど江戸への物資の供給で大いに儲けたのは上方商人だし、彼らの金の使いっぷりが「文化」を育てたというわけだ。
元禄期における天才文化人と言えば、松尾芭蕉・近松門左衛門、井原西鶴・・。浮世絵の原点・・菱川師宣、屏風絵の代表・・緒方光琳

街道を行く:東海道30「舞坂宿」
大阪と同様に今は「阪」だが昔は「坂」だった。浜名湖は古くは内陸湖だったが、室町時代の大地震で「今切」と呼ばれる切り口が開いて、遠州灘と浜名湖がつながった。そこで舞坂から先は「今切の渡し」で新居に渡った。

三都&町物語:江戸「本郷」、駿河「富士山」
本郷の東大は加賀藩上屋敷の跡で、赤門は家斉の娘溶姫が加賀藩主前田斉泰に輿入れしたときに作られたもので正式には「御守殿門」と呼ばれた。
「富士講」は集団で富士山へ詣でるための講社だが、当時の富士登山は結構危険だった。関東の庶民は各地に作られた「富士塚」にお参りした。江東区南砂の富賀岡八幡にもあったなぁ。

日本全国「藩」事情:「岸和田藩」
「だんじり祭の町」・・・岡部家三代藩主岡部長泰が、京の伏見稲荷から城内に稲荷を勧請したときの祭礼に始まると言われる。

暮らし大全:「江戸っ子を酔わす夏の風物詩、花火」「粋な振る舞い<江戸しぐさ>」「親心を表す子供の着物」
隅田川の場合、旧暦5月28日から8月28日までの間納涼船の営業や夜半までの船宿・料理茶屋・露天・見世物小屋などの営業が認められた。これら川遊びの解禁日が「川開き」というわけだ。
人気のあった玉屋だが、失火によって全焼し、失火は当時重罪であったため江戸払いとなって廃業・・・その後は鍵屋が江戸の花火を一手に引き受けた。
洗練された振る舞いのことを江戸では粋(いき)と言い、上方では粋(すい)と言った。粋(いき)は「威勢がよい」という概念も含んでいる。粋(いき)の反対語は野暮(やぼ)。
子供は体温が高く汗をかきやすいため、男女とも脇のあいた袖になっていた・・これが発展して袖の振りが長くなり若い娘の「振袖」になった。

偉人・奇人列伝:「吉益東洞」
「万病一毒説」・・・「この毒は、毒薬をもって攻撃し駆逐すれば、もう入ってこない」・・を唱えた。これは当時としては革命的なそして近代的な理論で、漢方医ではあるが現在の西洋医学の礎でもある。