イメージ 1
「名所江戸百景」今昔:「両ごく回向院元柳橋」
左手前は回向院の勧進相撲の櫓だ。江戸の勧進相撲は深川の富岡八幡宮で始まり天保年間に回向院に移って定場所(春と秋の二場所)となった。最近の賭博問題のせい?で心なしか寂しげ・・・。
回向院には鼠小僧次郎吉の墓がある。

読み解き江戸時代:飛脚、走る!、「情報を全国へ」
宿場には常時飛脚人足が詰めていて隣の宿場から文書や荷物が届くと、それを次の宿場に届けた。この幕府専門の「継飛脚」は急ぎの場合江戸大坂間を2日半で走り通した。今「東京-大阪駅伝」をやったら、もっと速くなるだろうが、当時は橋のない川や険しい山道が何箇所もあった・・。
各藩が運営するものは「大名飛脚」、民間が運営するものは「定飛脚」と呼ばれて発達した。
市中だけを走る町飛脚というのもあったらしいが田舎ではどうしたのだろうか?
今読んでいる古文書「御用日記」では「急幸便」というのが登場する。どんな仕組みだったのかは分からない。
 
街道を行く:本陣と脇陣、東海道23「島田宿」
大名・旗本・勅使(皇室の使い)が宿泊する「本陣」、入りきれない人や大名が鉢合わせしたときなどは「脇本陣」が使用された。東海道には本陣109軒、脇本陣67軒があった。
島田宿は大井川の東側、水深が136センチ(4尺5寸)を超えると「川留め」になって足止めになったので、旅人たちで賑わった。 幕末には650人を超える川越(かわごし)人足を擁した。
 
三都&町物語:江戸「不忍池」、京「伏見稲荷神社」
なぜ不忍池という名前になったのだろうか。当時はお忍びの男女が逢引の名所として利用したので、「不忍といえど忍にいいところ」と川柳に詠まれたそうな・・。池之端周辺にはラブホテル(出合茶屋)が多数出現した。
私も行ったことのある伏見稲荷の名所は「千本鳥居」・・当時から願い事の叶ったお礼として鳥居を奉納する慣わしがあった。稲荷の狐がくわえている「玉」と「鍵」・・・花火の「玉屋」「鍵屋」はこれにちなんでいて、お稲荷さんを守護神としている。

日本全国「藩」事情:「姫路藩」
西国の抑えとして築城された「白鷺城」・・秀吉が設けた城を壊して築いた初代藩主は池田輝政・・秀吉の命で家康の娘篤姫を継室としていた。
 
暮らし大全:「ファッションのかなめ・帯」「寄席で落語を楽しむ」「最先端タウン、日本橋でショッピング」
昔独身女性は後ろ結び、既婚女性は前結びにしていたが、前結びは身動きの邪魔になるので、後ろ結びが一般的になった。遊女が前結びにしているのは「一夜だけの客の妻」という意味らしい。
ずっと名が継がれる落語家・・・江戸時代に初代を発するのは「林家正蔵」「三遊亭円朝」「桂文治」「三笑亭可楽」「朝寝坊むらく」・・・。馬がしゃべるという噺を作った鹿野武左衛門が、大島に島流しにされた話は興味深い。

偉人・奇人列伝:「伊藤伊兵衛」
将軍がひいきした園芸家。江戸の染井は江戸の園芸産業の中心地だった。伊兵衛は襲名で、三代目は霧島つつじを江戸にもたらしたことで知られる。屋号を「江戸染井・きり島屋伊兵衛」と称した。ソメイヨシノも伊兵衛の開発によるとの説もあるが。証拠はない。