すっかり気候もよくなって、こないだ(木曜日)はさわやかなゴルフ日和だった。おかげで過去最高タイのハーフ38、ここ数年なかったラウンド79を記録し、S一さんに9アンド8(1.5ラウンド)で快勝した。
畑のほうも快調?? 去年植えたアーティチョークに紫色のつぼみが付いた。ゴーヤ・ハバネロ・モロヘイヤ・朝顔が発芽した。はつか大根、スナップエンドウが次々に収穫中。ほうれん草生育中。ミニトマトが大分大きくなってきたので隣のキュウリ(あまり伸びていない)と共用の支柱を立てた。ピーマン・しし唐はまだ生育初期、去年植えて生育が遅れていたブロッコリーが大きくなってきているがまだつぼみが見えない。アピオスの芽が伸びてきたぞ。そう言えば生垣に自生している山芋も勢いよく伸びてベニカナメモチに届いた。自生と言えば青シソ・赤シソも発芽している。
イメージ 1
「名所江戸百景」今昔:「目黒爺々が茶屋」
家光が近くに鷹狩りに来たときよく立ち寄り、茶屋の主を「爺、爺」と呼んだことから名付けられた。「目黒の秋刀魚」の舞台となった茶屋であるが、これは落語の話なので実話ではない・・・。あった場所は定かではないが、茶屋坂と呼ばれてきた坂があって、この辺りにあったらしい。

読み解き江戸時代:農業を政策する、「農は国の大本なり」
幕府は各地に代官(あるいは郡代)を置いて、あるいは(三浦などでは)奉行が村を支配した。村には本百姓の中から選ばれた村方三役と言われるまとめ役を置いて彼らを介して支配した。村方三役とは名主(関西では庄屋など)、組頭、百姓代とされているが、三浦の古文書では組頭と呼ばず「年寄」としている。なお本百姓とは検地帳に登録された田畑を持っている百姓であり、田畑を持っていない(小作の)者は水呑百姓と呼ばれた。

街道を行く:江戸の旅行ガイドあれこれ、東海道⑰「興津宿」
興津宿の近くには女神を祀る宗像神社があって、その森は外観が女性の姿に見えたので「女体の森」と呼ばれたらしいけど、どんな形だったんだろうね・・。

三都&町物語:江戸「御茶ノ水」、大坂「八軒家」
御茶ノ水あたりがくぼんでいるのは「人工の谷」なんだって・・初めて知った。日比谷や銀座辺りを埋め立てるため神田山を削って、掘割を作ったんだって。
天神橋と天満橋の間の堂島川南岸、八軒の船宿があったことから八軒家(または屋)と呼ばれた。ここと京の間を三十石船が往復して物資や旅人を運んだ。運賃は上り144文(3600円)、下り72文(1800円)だった。

日本全国「藩」事情:「松江藩」
堀尾氏三代、京極氏一代、松平氏十代の城下町、最も有名な藩主は松平七代目治郷(不昧公)・・と書いてあるが、私は知らない。

暮らし大全:「百花繚乱、女性のヘアスタイル」「あの手この手の広告作戦」「富くじに夢を託して」
女子の成人は16歳で、このときから「島田髷」にして結婚すると「丸髷」にした。「三十振袖、四十島田」は年齢不相応のたとえらしい。因みに20歳を過ぎると年増と呼ばれ30歳近くでは中年増、30歳以上では大年増と呼ばれたんだって・・・今は昔。
「引札」とは現在のチラシのことだが、「江戸は引札と云ひ、京阪ではちらしと云ふ」と当時の風俗解説書に書いてあったそうな。多くの浮世絵、役者絵、暦、双六などは広告を入れた販促ツールだった。役者とのタイアップも多く、広告なのか芝居なのかわからない演目があったそうな。
  
偉人・奇人列伝:「吉田光由」
「塵劫記」という算盤の教科書を書いた人らしいが知らなかったねぇ。「一斗桶にある一斗の油を五升ずつに分けたいが、七升と三升の升しかない、どうする?」というようなパズルも載せたらしい。「遺題」と称する難題を解答を載せずに掲載したところ、他者がこれを解いてさらに難しい「遺題」を掲載した本を出すなど連鎖し、「和算の発展」につながったと言うから面白い。