いやぁ、今日は凄いものを見た。遼君が調子の出ない、中日クラウンズ・・・丸ちゃんでも応援しようと2時過ぎてからTBSを・・・そうすると、長々と遼君の予選ラウンドや昨日の紹介を続ける。「何だ!例によってTBS得意の長い前振りか・・」と思っていたら、放送は「遼君トップ」で始まった。トップと6打差でスタートしたはずなのに、もう2位に4打差を付けている。結局凄い記録で優勝。優勝者が18番をホールアウトしてから1時間以上も中継が続いた。2400万円とクラウンハイブリッドか・・・いいなぁ。

イメージ 1
「名所江戸百景」今昔:「真崎辺より水神の森内川関屋の里を見る図」
室内に活けた椿と窓外の梅を対比させる・・・広重得意の構図だ。

読み解き江戸時代:「鎖国」という選択!「日本は海外とどう向き合うのか?」
キリシタンを排除するため幕府は鎖国に踏み切った・・・しかしキリシタンの多い九州の長崎になぜ出島を作ったのか? 完全鎖国はまずい・・中国との貿易だけではなくヨーロッパともつながっていたかった。ところがポルトガル人は貿易のついでにキリシタンを布教する・・そのためポルトガル人を隔離するために出島を作ったのだそうだ。しかしその後島原の乱が起きて、「両立」はあきらめ、ポルトガル人は完全排除し、布教活動をしないという約束をしたオランダ人に貿易を認めたのだ。
現代においては「鎖国に近い北朝鮮」などの例を見ても、鎖国は国家発展の障害になると思われるが、平和の安定的な時代が続いて、自給自足のための産業発展、教育水準の高度化がなされ独自文化が花開いたというのは興味深い。江戸時代の日本人の「識字率」つまり庶民の教養の高さは時折訪れる欧米人にとっても驚異的なものであったのだ。

街道を行く:東海道⑮「蒲原宿」
広重の「東海道五十三次」の中でも「蒲原 夜の雪」は最高傑作と言われる。しかし、静岡県にこんなに雪が積もることって本当にあったのだろうか?? 新潟の蒲原と勘違いしたという説もあるくらいだ。

三都&町物語:江戸「佃島」、京「島原」
佃島の漁師が船で食事をするために腐りにくい保存食として小魚を塩で煮込んだのが始まりらしい。その後千葉名産の醤油で煮込んで「佃煮」として市中で売られるようになった。
京で唯一の公認花街・・・なぜ京なのに島原?? 花魁吉野太夫の乗り物が余りに立派で、京都所司代が頭を下げてしまい、これに怒って六条柳町から朱雀野に移された・・・この騒動が島原の乱のようだったというので、命名されたというが本当かなぁ?

日本全国「藩」事情:「長岡藩」
小泉純一郎が所信表明演説で取り上げた「米百俵の精神」で知られる。しかしこれは江戸時代の話ではなく明治2年のことだ。戊辰戦争で敗戦した長岡藩の藩士たちは粥も食べられないほど困窮していたが、大参事の小林虎三郎が、三根山藩から見舞いとして贈られた米百俵を藩士に配るのではなく、教育費に充てたという話・・目先のことより将来を見据えて行動すべきという教訓だ。

暮らし大全:「江戸の職人、出職と居職」「男児が主役、端午の節句」「江戸っ子のお洒落は足元から」
出職とは大工をはじめ、外で作業する職人で、居職とは室内で作業する職人だが、出職のほうが圧倒的に「派手」で人気があった。居職も「地味」ではあったが、その着実さが評価された。
出職:大工・鳶職・左官・屋根葺・畳師・木挽・表具師・建具師・石工・筏師
居職:提灯屋・鋳物師・鍛冶師・紺屋・紙漉・指物師・木地師。具足師・桶結師・縫取師・錺師
風車と五色の吹流しが主役だったのに、鯉のぼりが主役の座を奪った。
江戸の二大履物・・草履(雪駄・裏付草履・草鞋)と下駄(日和下駄・足駄・駒下駄)

偉人・奇人列伝:「渋川春海」
家康・秀忠の碁の相手をするため「碁所」に勤めていた二代目安井算哲は天文学者渋川春海でもあった。中国から「輸入」した「宣明暦」を日本独自の暦「貞享暦」に改められたのは春海の業績。碁においても御前試合において、不動の北極星を意味する天元に初手を打った。この試合で本因坊に敗れた春海はその後天元打ちをやっていない。