明日のゴルフも中止・・・このところ頻繁に雨が降るし、寒くなるし・・・アイスランドの噴煙で地球が寒冷化するという説もあるし・・・困ったもんだね。まだ温暖化の方がいいってか? それとも帳消しになってちょうどいい?

「名所江戸百景」今昔:「紀の国坂赤坂溜池遠景」
紀伊国坂・・・坂の西側に紀州徳川家江戸中屋敷があったので、そう呼ばれたそうな。絵に描かれている堀は今も残っていて、弁慶堀と呼ばれる。しかし当時は桜田堀を弁慶堀と呼んでいたんだって。
参勤交代は各大名に金を使わせて勢力を拡大するのを抑制する目的だったという説の一方で、家光は武家諸法度の中で参勤交代の人員の多さを諌めているのに、各大名は面子(プライド)の維持のために従わなかったという話は面白い。しかし、結果的にはさまざまな効果をもたらす巧妙な仕掛けだったらしい。
島田宿の大井川は川幅が1.3kmもあって、橋も渡し船もなかったので、最大の難所だった・・・箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川。川越は「かわごし」で「かわごえ」ではない。肩車越し、輩台越し、棒渡し、馬越しの四つの方法があった。
浅草の平地にもっこりとした小さな丘・・・待乳(まっち)山の標高は9.5m・・・大阪の天保山と並ぶ低い山だ。天保山は自然のものではなく築山で当初は20mくらいあったが、土砂採取と地盤沈下で今は4.53mだって・・。待乳山は自然のもので今も昔も同じかなぁ。
大坂の豪商・淀屋が北浜で「淀屋米市」を作り、元禄年間に開発された堂島に多くの米市が堂島に移った。いろいろ経緯があった後、「堂島米会所」が誕生して発展した。ここは帳合米取引と呼ばれる世界初先物取引の誕生の地でもある。こないだテレビで特集をやっていたけど、ここの変動する米価の情報は「旗振り通信」で伝えられた・・岡山まで15分で届くすばらしい通信だった。
武田信玄、豊臣秀吉、徳川家康に仕えた真田氏が居城とした信州一の城下町である。子供の頃、真田十勇士の話はわくわくしながら読んだものだ。当時六文銭の真田氏は豊臣側だと思っていたけど、関が原の戦いでは親子が分かれて戦ったんだね。真田信繁(後に幸村)とその父昌幸は西軍に、兄の信行(後に信之)は東軍に加勢し、信之が上田藩主になり、その後松代に転封となった。
今の料亭は社用族と政治家がもっぱら利用する場所だが、昔もやはり幕府や各藩の役人、御用商人などの接待の場だったんだって。一人銀十匁(25000円くらい)が標準飲食代だったらしいが、「切手」という食事(ギフト)券も売られたんだって・・。最高額は50両(750万円)・・ホンマかいな。
江戸時代(17世紀から18世紀末)は世界的に寒冷化時代だったらしい。そう言えば天明の大飢饉って、今話題のアイスランドの火山の噴煙による寒冷化がもたらした凶作の結果だよね。・・・ということは今後は温暖化ではなく寒冷化の心配?? 「火鉢」「炬燵」「行火」「囲炉裏」・・これが江戸時代の典型的な暖房器具だった。
秀忠の五女和子(まさこ)が後水尾天皇に嫁ぎ生まれたのが女一宮、後水尾天皇は突然女一宮に譲位して徳川家を外戚とする天皇が誕生した。女帝は終生独身を通すという不文律を利用して天皇家から徳川の血を絶やすための策略であった。